「ラビット・ドットコム」
第3話 0.03秒の悪魔

ラビット第3話 0.03秒の悪魔(3)

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「シロちゃん!? ……いったいどうしちゃったの? ねえ。ナイフ! そんなの持ってたら危ないよ。ねえってば」

青ざめながら李々子は話しかけるが、稲葉にその声が届いていないのは、一目瞭然だった。
ちらりとも視線を外さず、宇佐美を真っ直ぐ凝視している。

その顔には怒りも恐れも、何の感情も現れていなかった。
ただ何かに憑りつかれた様にじりじりと、少しずつ宇佐美に近づいていく。

「そう言えば稲葉にナイフ向けられるの、2回目だな」

「ジョーダン言ってないで逃げてよ、諒! シロちゃん完璧におかしいって!」

「分かってるけどこんなスペースじゃ逃げ場ないし。なあ稲葉って運動能力高かったっけ」

「知らないわよ!」

「だよな」

宇佐美は追いつめられるまま一、二歩窓際に体を退いた。
けれどもそれを合図にしたかのように、稲葉はナイフをしっかりと握ったまま宇佐美に襲いかかってきた。

間一髪で宇佐美が身を翻すと、椅子につまづいたのかその足元に稲葉が転がるように倒れ込んできた。

間髪入れずその背中めがけてダイブした李々子の全体重が、床の上の稲葉を完璧に押しつぶす。

「李々子!」
「平気」
「グエッ」

カエルの断末魔のような声が漏れ、稲葉が持っていたナイフはその弾みで部屋の隅にはじき飛ばされた。

倒れたときにどこかで打ったのか、それとも李々子弾の衝撃からか、稲葉は頭を抱え込んでしばらく悶絶し、そのまま動かなくなった。

李々子は稲葉の上に馬乗りになったまま宇佐美を見上げた。

「ねえ、諒! ……これって」

宇佐美はゆっくりとしゃがみ込むと、目を閉じたまま動かない稲葉をじっとのぞき込んだ。

「うん、今までに聞いた症状とよく似てる」

「どうして? ねえ、何でシロちゃんまで変になっちゃうの?」

李々子は青ざめ、身を乗り出すようにして宇佐美に説明を求めた。

「俺も正直こんなに唐突だとは思わなかった。普通の会話から30秒も経っていない」

「全然まったく何もなかったよね! なんで? 怖すぎる」

稲葉の背に全体重を乗せたまま李々子は興奮して小刻みに跳ねる。

最近ダイエットをことごとく失敗してる李々子の下敷きになった稲葉は、やがて重々しく呻きながら薄目を開けた。

「ちょ……。これなに。え……。り……李々子さん??」

「シロちゃん!」

「シロちゃん、じゃないですよ。重いです! 何やってるんですか、死んじゃいますって! どいてください!」

「あ、ごめんっ!」

慌てて李々子は稲葉の背から飛び降りた。

宇佐美は床の上に体を起こして座り込んだ稲葉の横にしゃがみ、出来るだけ穏やかな声で話しかけた。

「稲葉。気分は大丈夫?」

「あ、平気です。なんか……躓いてこけちゃったんですかね、僕」

「じゃあ、ついさっき、自分がやった行動は覚えてない?」

「やったって……僕何かやらかしました?」

稲葉は少しぼんやりとしたまま、自分を見つめる二人を代わるがわる見返した。

宇佐美は無言のまま、部屋の隅を指さす。
その指し示した方向には、果物ナイフが転がっていた。
あまりにも異質で奇妙な光景に、稲葉はごくりと息を飲む。

「……いやだな二人とも。……ウソでしょ? ボク、何もしてないですよね? ね?」

李々子はゆっくり稲葉の横にしゃがみ込んで小さい子に言うように話しかけた。

「大丈夫。だれも怪我しなかったから。ね」

稲葉は絶句したまま血の気の失せた顔で二人を見た。何か言おうとするがショックが大きくて言葉が出てこない。

「それはいいんだ。ここで変に落ち込まないでくれ。稲葉個人の責任じゃないはずだし。とにかく今一番注目すべきなのは、この一連の騒動を解くカギを君が持っていると言うことだ」

宇佐美は稲葉の目をのぞき込んだ。

「カギ?」

「そうだ。こっからが本番だ。よーく思い出して。この数日の間に起こった出来事を。何か変わった事はなかった? ほんの些細な事でもいい。
あるいは妙な物に触れたとか口にしたとか。
場所に関してはどう? さっきのあの地図を思い出して、自分の行動範囲と重なるところはない?」

「重なるところ……。ガイア。……ガイアだ。ボクはあの駅は利用してないから、僕の行動と重なる所はガイアしかないです!」

「よし。じゃあ、ガイアに入ってからの行動を最初から全て思い出してみて」

稲葉は斜め上に視線を向けて必死にその日の記憶をたどる。

「3階にこの辺ではかなり大きなゲームショップがあるんです。だから、エントランスのエレベーターで真っ直ぐ3階に上がって……。エレベーターを降りたところがすぐショップだったんで他の場所は見てません。何も食べてないし、誰とも話してないし。
ゲームショップには行ったんだけど、半分くらいがキッズコーナーで、ちびっ子連れのお母さんたちが子供遊ばせてました。それもあって何となく落ち着かなかったし、めぼしいソフトも無かったし……。だからほんの15分ほどうろうろしただけで、ショップからは離れました。書店をチラッと覗いたけど、欲しかった漫画が見当たらなかったから、やっぱりすぐに出て、そのままエレベーターに向かいました。……あ、そうだ。
そしたら笹倉さんの言ってたエステのお店がエレベーターのすぐ近くにあったんでちょっとその周りをぐるっと歩いてみたんです。エレベーターがなかなか降りてこなくて、時間つぶしに」

「笹倉……?」

宇佐美が声を漏らした。

「笹倉に何か言われたのか、稲葉」

「はい、自分の名前を出せば無料になるから暇ならその店に行ってみてって。
もちろん僕、エステとかそういうの全然興味なかったんで、もし仕事中じゃなくたって、中には入るつもりもありませんでしたけど。
でもね、店の正面の目立つところに大きなモニターが設置してあって、そのお店のコマーシャルみたいなのをエンドレスで流してたんです」

「CF……」

「すごくよくできてて、映像もモデルさんもめっちゃきれいで、ついつい……」

「音声は?」

「音は無かったですね。ひたすらきれいなお姉さんと景色ときれいな幾何学パターンと。高画質のモニターだったから、ついつい……」

「稲葉、そのモニターどれくらい見てた?」

「えーと、ほんのちょっとですよ。1分か1分半……」

「それか」


宇佐美はいきなり立ち上がると依頼人のファイルを棚から抜き出し、デスクの上の受話器を取った。

李々子が素早く反応し、飛びつくように電話のスピーカーホンを押す。

コールが途切れると宇佐美が話し出すよりも先に、落ち着き払った笹倉の声が聞こえてきた。

まるで待ち構えていたような余裕さえ感じられる。

『ずいぶん嫌われていると思ってたのに、そっちから電話をもらえるとは嬉しいねぇ。さて。何か面白いことでも起こったかい? 宇佐美くん』

「まさか、……あんたなのか。笹倉」

『まさかって?』

堪えるような笑い声が漏れて来る。

『おいおい、本当に今まで何の見当もつけてなかったのか? 他の誰にこんな事ができる? まさか自然発生した現象だとでも思ったかい?』

「ちゃんと質問に答えろ! 笹倉!」

『フン。いいね。だんだん君らしくなってきた。さあ、もう全部解ってるんだろ、君には。電話をかけてきたところを見ると』

「サブリミナルだな」

スピーカーホンから甲高い笑い声が響いた。

『ああ、笑ってすまない。なんだかチープな響きだなと思ってさ。いやせっかく君が回答をくれたんだから私も真面目に答えるよ。
半分だけ正解だ。さんざん、ニセ科学と言われてきたサブリミナルだがね。馬鹿にしたもんでもないよ? さて、それじゃ一体あんなものでどうやって人を操れるのでしょう。
シンキングタイムだ、宇佐美くん。10秒だけ待とう』

からかうような口調で笹倉はカウントを取り始めた。

『10、9、8……』

じっと聞いていた稲葉は拳を握りしめ眉間にしわを寄せ、今にも電話機をたたき壊しそうな形相だ。

「あんた……見つけたのか? 第二の知覚野を」

『……』

宇佐美の言葉に、笹倉のカウントダウンが止まる。
刹那の沈黙の末、電話の相手は落ち着いた声で語り始めた。

『ご名答。私は未開の分野に到達したんだ。私が作った映像をどんなに捜査員が解析したって何の証拠も出てこない。私は見つけたんだよ。大脳皮質視野が感知できる閾値を下回る0.03秒の信号を認識し、どの伝導路よりも素早く確実に伝わる未知なる知覚野をね。
今までの子供だましのサブリミナルとは似て非なるもの。映像に混在するのは映像ではなく、直にシナプスに伝達する電気信号なんだ。組み立てられるのも解析できるのもこの世に私しかいない。警察は犯罪の裏付けさえできない。つまり、完全犯罪だよ、宇佐美くん』

宇佐美はちらりと稲葉を見た。

稲葉は大きく頷くと素早く携帯を取り出し、ガイアの管理事務局の番号を調べ連絡を入れた。

スピーカーからはまだあの勝ち誇ったような笑いが続いている。

『もうひとつ言っておかないとね。君は私の研究のテーマがおかしいと何度も指摘してくれたけれど、やはり間違ってなどなかったよ。証明されただろ? 人間は機械と同じなんだよ。神が作った精巧な玩具。信号でどうにでも操れるロボットなんだよ。なあ、そうだろう? 宇佐美』

「笹倉。残念だよ。人に役立つ医学の進歩のために君はあそこで学び、研究を進めてたんじゃないのか。そんな身勝手な実験の検証のために健全な人々を使うなんて、もっとも恥ずべきことだ」

宇佐美は静かに答えた。

『負け惜しみにしか聞こえないね。この頭脳をどう使おうと私の勝手だ。そうだ、教えてあげようか? 何をきっかけに信号を受け取った人間が狂った殺人鬼に豹変するのか』

電話の途中の稲葉も、青ざめて聞いていた李々子もピタリと息を止め、じっとその言葉に集中した。

『起爆剤となるのはそのモニターの映像を見た後に“最初に聞いた言葉”さ。
モニターの映像に含まれた信号は脳神経にトラップスペースを用意する。被験者がその場を離れて最初に聞いた言葉が鍵になるようにね。
“最初に聞いた言葉”は特別待遇の信号として無意識にその人間の海馬にインプットされ、聴覚からもう一度それと同じワードがささやかれるのをじっと待つ。
あとはもうわかるよね。それと同じ言葉をどこかで聞くと相手がだれであれそれを言った人間に殺意が沸くようにプログラムしてある。
だから豹変するきっかけは人によって違う。予測不可能。
無意識下での被験が必須条件だからカラクリを知った人間があのモニターでテストしても何の効果も表れない。立件不可って言う意味が分かっただろ。
君に種明かしした段階であの試作第1号のモニターは意味をなさなくなるわけだけど。もう遅いよね。さあて、あのモニターを見た人間がこの街にどれくらい居るんだろうね。
なあ宇佐美。どうだい? すごく面白いだろ? その起爆剤と同じ言葉を、誰が、いつ言うのか。翌日か、半年後か、10年後か。わくわくするね』

「笹倉お前……」

けれど耳障りな笑いを残してそのまま電話は切れた。

「宇佐美さん、ダメだ!」

携帯を掴んだまま稲葉が泣きそうな顔で飛んできた。

「電話じゃ信用してもらえないんです。あんた誰だ!とか言って。僕すぐにガイアに行ってモニターぶっ壊してきます!」

「バカ、そんなことしたらお前が捕まるよ。いい、俺が行って交渉する。そのあとで警察だ。笹倉の犯行をどこまで信じてもらえるかは分からないが」

そう言って宇佐美はさっきの会話の録音データを電話機から抜き取った。

「李々子、お前はここに残って笹倉の自宅にもう一度……」

宇佐美は先程からやけに大人しい李々子を振り返って言葉を詰まらせた。
李々子の顔は真っ青だった。目を見開き、手で口を押さえたまま何かに怯えたように立ちすくんでいる。

「李々子? どうした。気分でも悪いのか?」

李々子はゆっくりと視線を宇佐美に合わせると、小さな声でつぶやいた。

「どうしよう……私も見ちゃったの。あのモニター」


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