冬の犬 (RIKU・番外)

冬の犬 第3話 冷たい空

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目が覚めたとき、いつもと違う空気を感じた。
波子は硬いベッドから起き上がり、訝りながら居間へ向かった。
薪ストーブの柔らかな匂いがしない。まるで外と同じくらいに、室温が低い。
いつも波子が起きる時間には、部屋は程よく温まっているのが常だった。
男はストーブを消して、仕事に出かけたのだろうか。

粗末な居間を見渡すと、いつものように、お気に入りのロッキングチェアにもたれて座りながら、男は息絶えていた。
波子はひと呼吸置いたあと、叫ぶでもなく取り乱すでもなく、ゆっくり近づいて、白っぽくなってしまった男の顔をじっと見つめた。
夏も冬も日に焼けて小麦色だった肌は、今はもう霜の降りた冬の土のように悲しい色だ。

首筋に触れると、やはり冷え切っており、硬直し始めているのが分かった。
そう言えば昨夜、酷く頭が痛むと男が言っていたのを思い出す。
「頭痛薬が薬箱にまだあったはずだから、飲んだらいいよ」
そう言って、先にベッドに入ると、男は「そうする」と小さく言った。
あれが最後の会話になった。

やっと、出来上がったところなのに。とても悔しい。
波子はベッドサイドのダンボールの中から、大きな紺色の手編みのセーターを取り出し、冷たくなった男の胸に掛けてやった。
穏やかな顔をしている。相変わらずの無精ヒゲだが、このヒゲも、もうこれ以上伸びることは無いのだと思うと、胸の中が冷えていくような、奇妙な感じがした。

この男の名前は一応知っていたが、その名を呼んだことはない。
正確な歳も知らない。たぶん40半ばだろうとは思うが。
2年前に波子がこの部屋に転がり込んでからずっと一緒に暮らしているが、互いのことを聞きもせず、男女の関係にもならず、ただ何となく波子が食事を作る担当になり、「ねえ」とか「なあ」とか呼びながら、奇妙な共同生活を続けていた。

26歳の時、詐欺容疑で警察に指名手配されて以来、波子はできる限り身を隠し、名を偽りながら各地を点々としていた。
最初の2年ほどは街中に身を隠していたが、どこへ行っても人目が気になり、人里を離れて歩き回るうちに高熱を出し、この男の山小屋に転がり込んだ。
それが2年前の今頃だ。
あまり表情を表さないその男は、「元気になるまで休んでいったらいい」とだけ言ってくれた。

今時電気も電話もラジオさえないこの山小屋は、元々林業の人夫達の休憩所として造られた粗末なものだったらしいが、なぜかとても居心地が良かった。
追われることのない安心感からなのだと、波子は思っていた。
そのうち波子は食事の世話をするようになり、なんの了解を得たわけでもなかったが、ズルズルと此処に住みついた。
男はほとんど口をきかない。
気難しいと言うわけでもなく、単に言葉でコミュニケーションを取らない人間なのだと言うことが、1カ月くらいで分かった。
元々お喋りだった波子も、言葉のいらない男との生活が居心地の良いものになっていった。

男は、冬はふもとの民家の薪割りや大工仕事を請け負って日当を稼ぎ、春から夏にかけては杉の木の間伐、伐採、山出しの人夫となり、そして秋は村の小さな精米センターの手伝いをして生計を立てていた。
町へ出るとき、男は必ず「何か欲しいモノがあれば買ってくる」と言い、メモを渡すときちんとそれらを買ってきてくれた。
それなのに、波子の財布からは一銭も受け取らない。

まるで波子の金が汚れていることを知られているような落ちつかなさはあったが、それでもその男の傍にいると、安心できた。

2カ月前、「欲しいモノ」のなかに毛糸と編み棒を書き加えた。
男はいつもより遅く帰宅したが、ちゃんとメモに書いたものを買ってきてくれた。
いかにも山男と言った風貌のこの男が、毛糸玉と編み棒を持ってレジに並ぶ姿を想像して、波子は何度も思い出し笑いをしたものだ。

昨日、やっと編み上がったというのに。
今日、夕食の時に渡すつもりでいたのに。

深いブルーは、男にとても良く似合っていた。
ちゃんと着せてあげたかった。これを渡したら男は喜んでくれただろうか。
どんな顔をして笑ってくれただろうか。

波子は急にザワザワと落ち着かなくなった感情を慌てて脇へ寄せ、荷造りを始めた。
もうここには居られない。
このままそっと山を下り、また2年前の生活に戻るのだ。
捕まるなど真っ平だった。
不遇な育ち方をして身よりの無かった波子に近づき、愛だ恋だとぬかし、ただ遊び半分に波子を抱いて捨てていった「男」という人種の数人から、少しばかり金品をだまし取ってやっただけだ。
罪状には有りもしない尾ひれが付いて大きくなっているように思えたが、法廷で「愛があった、無かった」「やった、やらない」を惨めにわめき合うくらいなら、このまま一生逃げ通してやる。
手つかずのままの現金を押し込んだバッグを手に持ちながら、波子は改めてそう思った。

肩に掛けたバッグが、やけに重い。
「あんたの勤めてたセンターに、連絡しといてあげる。きっと弔ってもらえるから」
胸に紺色のセーターを掛けられ、穏やかに眠る男に小さくバイバイと手を振って小屋を出、正面を向く。
恐ろしげな森が、ぱっくり口を開けて待っていた。
山が安らぐ場所だというのは錯覚なのかもしれない。
改めて自分はこの2年間、あの男に守られて生きてきたのだという事実が、泣きたくなるほど心に染みた。
怖い。
ただ無性に、外界が怖かった。

どれほど歩いただろう。
早くも足は鉛を練りこんだように重く、手は冷たくかじかんだ。この時期、こんなに寒かっただろうか。
チラチラと粉雪を落としてくる空が恨めしい。
〈どこへ行くのさ〉と言いながら、地を這いずる自分を笑っているような気がした。

2年前の空も、そうやって自分を嘲笑った。
だから堪らなくなって、あの小屋に逃げ込んだ。
2年間自分はあの男に守られてきたのだ。
でも、もういない。
だから逃げなければ。 また、逃げなければ。

波子は細い道を辿り、闇雲に歩いた。
下り道を辿ればいつかは森を抜けられる。そう思って歩くのだが、道は再び登りになり、さらに鬱蒼とした樹海に入り込む。
泣きたくなった。
心細くて悲しくて、大声で泣きたくなった。
けれども逃げなければ。歩かなければ。山を抜けなければ。

不意に、ちらりと目の前を白い物が過ぎった気がした。
なんだろう。犬? まさか。
波子は白い影が消えた方向に足を向け、小径を進んでいった。

突然鬱蒼とした森が開け、光る空が目を刺した。
眩しさを堪え閉じた目を再び開けると、前方に見たこともない美しい湖が広がり、その上空には、しばらくぶりに見る青空さえ僅かに覗いている。
まるで一枚の良くできた風景画のようだったが、さらに驚いたことがもうひとつ。
その湖の手前で、イーゼルに立てかけたスケッチブックに向かい、静かに絵を描いている青年がいたのだ。
波子が踏んだ枯れ枝の微かな音に気付いたらしい青年は、左手をスケッチブックから離し、ゆっくりとこちらを振り返った。

一枚の絵というのならば、湖よりもむしろ、この青年の方かもしれない。
作り物めいて見えるほどの綺麗な顔立ちに、フワリとカールした柔らかい色の髪がとても似合っていて、昔、美術館で見た神話のアモールの絵を思い出させる。
いつの間にか自分もどこかで命を落とし、現世を離れて別の世界に来てしまったのだろうかと、波子は何度も瞬きを繰り返した。

青年は物珍しそうに波子をじっと見つめたあと、手に持ったペンのような物を足元の小箱に置き、布で丁寧に指先を拭いた。
それでも波子から視線を離さない。
なんだろう、この青年は。
そう思っていると、今度は微かに首をかしげ、口を開いた。
「どこへ行くの?」

冷たい空と、同じことを言う。

けれど不思議と不快な気持ちにはならなかった。
波子は10メートルほど先に立つその青年を、自身も興味深げにじっと見つめ返した。




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あれ? 玉ちゃんは?(笑)
大丈夫、きっと無事でいます。 (^o^;…

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~ Comment ~

NoTitle 

>玉城

エンドタイトルが出てから、画面に丸い穴が開いて、「忘れてないで誰か助けてくれーっ!」というアニメの天才バカボン的オチだったりします?(^^;)

NoTitle 

玉ちゃんの欠片も出てこないで出しに、一話読み飛ばしてしまったかと思って、遡って読んでしまいました^^
そうかそうか。
玉ちゃんはどこかでぐるぐる回っているんですね。
安心して待っています^^

波子さんの雰囲気イイですねぇ。
ミステリの書き出しとしても素敵だと思います。

NoTitle 

わけありの彼女の登場ですね。
わんこも何気に。招かれたように(?)

外での立ち話もなんですから、こちらに・・・って、どちらに行くのですかね。

てか、玉ちゃんはどちらに?

ポール・ブリッツさんへ 

ははは、それもいいですね(爆
いやあ、そうしようかな。
放置プレイに、玉ちゃん、耐えれるか!

でも、残念ながら、本題に絡んできますw
まあ、このお話自体がおおきなコメディみたいなものですから^^

ごろちゃんさんへ 

えへへ。唐突に場面変更しすぎましたね^^;
短編の時は、よくやってしまう癖みたいなもので・・・。

実は、次回も、その次も、ぽんぽんと場面展開します。
リクと、玉城と、長谷川のそれぞれのシーンに。

でも実は、それには理由があるのです^^
ちょっと反則的で、妙な感じだと思うのですが、どうぞ見守ってやってください。

波子、奇妙な女ですが、気に入ってもらえて嬉しいです。
どこか感情が普通でない女・・・が多いです^^;私の作品。

この物語は、リアルを少し離れた、不安定な世界で行ってみようと思います。
根幹はコメディなんですが^^

さて、玉城はどこに行ったかな・・・。

けいさんへ 

わけあり波子さん、登場です。
出番はそんなに長くないんですが^^

そして、なにげにワンコも。

立ち話もなんですから・・・って、誰が誰を誘うのやら(笑

玉ちゃんも行方不明だけど、放っておいて、次回は唐突に、長谷川さんに飛びます。

この短編は、容赦なく、場面が急に飛びます><
だいじょうぶか・・・。

コ・コメディなの!∑( ̄◇ ̄:)エッ!?  

世間と距離を置いて暮らす男と 世間から逃れて来た女
そして 男は死に 女は逃げる

σ( ̄、 ̄*)ん~~ ここで 一句
「どうしても コメディと言い切る (強気の)彼の御方」byけいったん
お粗末様です。┏○))ペコ。。。字余りだぁ(笑)

まぁ お笑い担当は もっか迷子ですからねー
ホント ドコニ イルンダカ…キョロ~(・。・。)(。・。・)~キョロ

次回は 長谷川の所に ひっと飛びなんですね。
授業のスライドショーを見る感覚に近いのかな?
ポンコツ脳に 鞭打って 付いて行くからね~~♪
ヘッポコメェェェェ ピコピコハンマ~( --)_中☆(>_< )ピコッ...byebye☆ 
 





NoTitle 

コメディ――!?
また、そんな馬鹿なっ……。

まさかの、コメディ……?
まさか……。

けいったんさんへ 

えへへ。
コメディというほど、コメディじゃないんですが (^^ゞ  

実際は、シリアスな物語も、ぴきっと差し込まれています。
でも、お笑い担当の玉ちゃんがいるからなあ・・・。

そして今回は長谷川さんが、妙な感じに^^
リクだけが、いつものようにマイペースで、淡々と物語を進めてくれます。

場面展開が多いですので、「これはだれのシーン?」と思いながら、追いかけていってくださいね^^

レルバルさんへ 

いやいや、ごめんなさい^^
そんなにコメディではないんですが。
シリアスでもない・・・くらいな、軽いタッチです。

時々、シリアスシーンがきますが、それが餡子の中の塩味って感じでしょうか。

こんにちは~(^0^*)ノ 

知らなくて読むのは勿体無いので、RIKUシリーズを
全部読破してからコメントしようと思ってたんですが、
なかなか時間が取れないので、とりあえずコメントします(^0^;)\
ホント、時間の使い方が下手だわ~~(;m;)

哀しい過去を持つ女・・・・・・・
これから何が起こるんでしょうか???
楽しみです!!!

かじぺたさんへ 

かじぺたさん、RIKU番外へようこそ~^^

おお、本編を読もうとしてくださったんですね。
そのお気持ちだけでもうれしいです。
でも、とにかく長いですからね><

第1章と第2章を読めば、大体の感じはつかめると思うのですが^^
(その後は、ひどく、辛い物語になっております><最終章は、とんでもないことが・・・)

この波子さん。
インパクトは強めですが、このお話の中では、ほんの通りすがりなので、2、3話しか出てきません。
このあとも、いろんな人が入れ替わり立ち代り、登場してきますので、
「どうなってるんだ?」とか思いながら、のんびり読んでやってくださいね^^
本当に、時間のある時でいいですよ~~。

拍手鍵コメNさんへ 

えへへ。
これをUPしながら、どうにも玉ちゃんが不憫になって、つぶやきをつけてみました(笑)

急に見知らぬ女の物語になったりして、お騒がせしています^^
このお話は、TVドラマのようにぽんぽんと場面を切り替えてみました。

一気に読むとそんなに違和感ないのでしょうが、こうやって4日置きに更新すると、「あれ? 一話飛ばした?」という感じになっちゃいますよね。

このあとも、いろいろ場面展開して行きますが、どうかついてきてやってください。
玉ちゃんは・・・無事かしら><

管理人のみ閲覧できます 

このコメントは管理人のみ閲覧できます

鍵コメTさんへ 

こちらこそ、ご無沙汰してすみません。

サイトを統一されたのですね。
さっそくリンクを張り替えました。
シンプルでかっこいいトップページですね。
これからも、創作活動、がんばってください。

NoTitle 

犯罪者の心理は分からないですけど、
人ごみを避ける気持ちにはなるでしょうね。
人を隠すのは人ですけどね。
山小屋はしかしいろんな人を集めますね。。。

LandMさんへ 

究極に、犯罪者の心理を理解して、共感することはきっと、できないでしょうね。
想像することと、想像してもらうことに、尽きるかもしれません。
このお話は少しリアリティを欠いているかもしれませんが、
そのぶん、気を抜いて読んでもらえるとうれしいです。

やっぱり、隠れるとしたら、山小屋・・・。って、なんか、単純な作者^^;

NoTitle 

おお~~~
無垢と汚れの出会い。
どんなんかな〜
このなんと言いましょうか、
リクの美しさが女心に何かを芽生えさせるのよねぇ〜
それは母性であったり、女であったり、苛めであったり・・・
複雑にさせるのよ。
きぃーーーー堪らんのぉ〜
むちゃ楽しみでやんす。

おまけの玉ちゃん情報にホッとするも、
やっぱり放置プレイでしょうか。
limeさん・・・きっつう〜

ぴゆうさんへ 

ぴゆうさん、いらっしゃい~。

えへ、波子とリクを、出会わせてみました。
作者の私も、何が起こるのかワクワクでした^^
リクって、未だにつかみどころがなくって、どう出てくるのか、謎な人ですから。
ぴゆうさんが語ってくれた、複雑で微妙な感情が、波子にも起こるのでしょうか。
なにか、生まれてくれたらうれしいなあ。

え? 玉城ですか?
はははは。彼は、まあ、もう少し放っておきましょう。
まあ、大丈夫でしょう(笑)

放置プレイが、こんなに面白いとは・・・。(作者談)
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