【短編】 人魚の夜 

人魚の夜 第6話 泡

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いつの間にか、誠一の濡れていたスラックスもすっかり乾き、そのせいなのか、体がほわりと軽くなってきた。
傘をさして歩いていた1時間前の自分は、まったくいじけた粘土だったと、少し滑稽で、少し愉快になった。

「なあ、俺にも何か手伝えることない? 絵は下手くそだけど、ただのべた塗りなら出来ると思う」
そう言ってやると、ミズキは実に嬉しそうに、「自由に、好きなように描いてください」と言って、ペンキ用の筆を一本、誠一に手渡してくれた。
まるでそれは、誠一のために用意されていたかのように、何色にも染まっていない筆だった。
「本当にいいのか?」
「ええ。あなたの海を」

そこから1時間、誠一は子供にもどった。
ミズキが描いた水の上に、誠一が魚の卵のような水玉を描き、誠一の塗った水の上に、ミズキがまるで遺伝子の螺旋のようなコイルを描いた。

窓から差し込む白金の月のひかりの中で、その四角い水槽は生命のスープで満たされていく。
血液の流れのことを“血潮”という事があるが、なるほど自分のこの体の中には、海がある。
取り留めもなく、誠一はそんなことを思った。
自分たちが描き上げる青の世界の中に、また自分たちが溶け込んで同化していく。
ゆらゆらと、一緒にたゆたう。自分たちの居場所。自分たちの世界。自分たちの物語。

「なんか楽しいな。ずっとここで描いていたくなっちまった。明日、仕事休んじゃおうかな」
「ダメです。ちゃんと行ってくださいね。仕事はとても大事ですから」
ミズキは笑いながらもきっぱりと言い、そして、高い窓を見上げて付け加えた。

あの月が消えるまで。それで終わりにしましょう、と。

地球の自転がスローになるように、ちょっと真面目に誠一は願った。

ミズキは作業を続けながら、ポツリポツリと、自分の事を話してくれた。
隣町の駅近くに職場があること。
宿無しがバレたらバイトを解雇されてしまうので、安いアパートを探しているが、なかなか見つからないこと。
けれどこんな日々も、それほど自分には苦にならないということ。

「でもこのビルって、もうすぐ壊されちゃうんだろ? 寝泊まりする場所が無くなることもそうだけど、この絵がなくなっちゃうのって、悲しくないのか?」
「悲しくないです。高山さんに見て貰えたから」
「・・・そう?」
「それからね、ちょっと考えてることがあるんです。実現出来たら嬉しいんだけど」
「何?」
「子供たちに、見せてあげられたらな、って」
「子供? だれの?」
「えっと・・・」

スッと、舞台の終焉を告げるように、辺りは再び重い夜の幕で覆われた。
月が窓から消えたのだ。
ランタンのオレンジ色の揺らぎが代わりにぼんやり浮かび上がり、生命達は夜の眠りについた。

「今日はどうもありがとうございました。とても楽しい時間でした」
不意にミズキが言い、手を差し出してきた。
「こちらこそ」
何となく、それだけ言うのが精一杯で、誠一はただ、その手を軽く握り返した。
また明日、仕事帰りに覗いてみようかな。きっと、もっと、素晴らしい空間になっているはずだ。
そう思いながらミズキと別れ、その建物を後にしたのだが。

次の日から誠一は丸2日間、高熱を出して寝込んでしまった。

「不摂生が祟ったのよ、馬鹿ね。こっちは心配要らないから、ゆっくり寝てなさい」
優しいのか冷たいのか分からない姉の電話を切った後、職場に、平謝りしながら追加有給の申し出をした。

『ちゃんと行ってくださいね。仕事はとても大事ですから』
寝てる間中、何度もミズキの言葉が蘇り、何度も「面目ない」と、恥じ入った。
そのせいなのか、熱が引いた3日目の日曜日、まず最初に行こうと思ったのは実家ではなく、ミズキのいるあの廃ビルだった。

たぶんまだある。きっとある。
そう楽観しながら向かったその場にあったのは、大型のユンボ一台と、トラック2台だった。
あの四角いビルはもう粉々の瓦礫になり、部外者の誠一は近づく事さえ出来なかった。
あの夜はちゃんと自分はこの空間の住人だったのに。
海の細胞の一部だったのに。
そんな空しさを思いながら瓦礫の山を見つめていると、その幾つかに、ブルーの欠片が混ざっているのが見えた。

海のかけら。
生命に満ちあふれた深海は確かにここにあった。
けれども、泡のように呆気なく消えてしまった。
あの海がすべて砕けて消えて。

俺を助けた人魚は、どこへ消えてしまったのだろう。




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次回『人魚の夜』、最終話です。^^



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鍵コメSさんへ 

ありがとうございます。
一夜だけ・・・って、なんかいいですよね。
でも、ちょっと寂しくて、あとを引いてしまう未練たらしさも、けっこう好きで。(誠一がそうさ)

> <人魚姫の好きじゃないところ>

おお、なるほど。すごく共感です。
足が痛むあたり、童話なのに妙にリアルな変身副作用ですよね。

泡になるとき、そんなゴタクがあったのですか! 即、天国に行かせてあげなよ~><
(私が小さい頃読んだのは、簡略版だったかな?)
人魚姫のお話は、そんな道徳的な感じにして欲しくないですね。
ただ、悲しい悲恋で、いいのに。
童話や昔話は、道徳を匂わせるものが多いから・・・。

だから私は、あまり好きじゃなかったのかな?(ひねくれものだったのか??)

NoTitle 

おおお。ミズキはどこに行ってしまったのでしょう。

天体は正確に時間を告げるんですよね。
確実に過ぎていく時間の中で、二人だけの思い出ができたようで・・・

けど砕けてしまうなんてぇ~~(><)
言うよー言うよー。
limeさんのいぢわるて言うよー。

けいさんへ 

うん、宿無しミズキ、どこにいったんでしょう。
ちゃんと、雨風しのげるところ、見つけたでしょうか。

> 天体は正確に時間を告げるんですよね。
> 確実に過ぎていく時間の中で、二人だけの思い出ができたようで・・・

時間が来たら、お別れだよって言われると、なんだか寂しさも倍増しますよね。
だから、ホームでのお別れって、劇的なんですね。
・・・いや、でもミズキと誠一は、2時間前にひょっこり再開しただけなんですが^^
それでもなんだか、そんなふうに感じてもらえたら、嬉しいです。

はい、ばらっばらの、粉々になっちゃいました。
ええーーーっ。意地悪? もっと言って。(いやその)
海が消えちゃいました。
逃がした魚は大きいか?

NoTitle 

熱を出して寝込んで あの絵を見られなかったなんて
実に 誠一らしいっちゃらしい(笑)

瓦礫の中に 蒼の欠片があったから 夢ではなかったようですが…

ミズキは あの絵を 子供たちに見せる事が出来たのかな?
…、…、
ってぇー 、それより 子供たちって どういう事なのよーー!
それに ミズキは 何処に行ったのよ~~!

肝心な時に 熱なんか出すから(酷い言われようですね(笑))、
ミズキから 聞けなかったし、な~んも 分かんないでしょうが!

(♯`Д´)ノ<だから あなたは いつもいつも肝心な時に…ガミガミガミガミ~...byebye☆ 

けいったんさんへ 

> 熱を出して寝込んで あの絵を見られなかったなんて
> 実に 誠一らしいっちゃらしい(笑)

うっ。すでにけいったんさんに、誠一のダメっぷりを見抜かれてる?(笑)
短編の初登場なのに、ボロをだす誠一ww
いや、けいったんさんの読みが鋭いのか。

瓦礫の中の蒼。
翌朝に見る、花火の残骸みたいに、なんか、やるせないような・・・。

> ってぇー 、それより 子供たちって どういう事なのよーー!
> それに ミズキは 何処に行ったのよ~~!

実は、野良猫ちゃんのように、軒下にたくさんの子供を産んで養い・・・・。
って、そんな絵を思い浮かべて、削除(笑)
ミズキは、きっとどこかの軒下で、寝てます。(いや、猫じゃないか)

> 肝心な時に 熱なんか出すから(酷い言われようですね(笑))、
> ミズキから 聞けなかったし、な~んも 分かんないでしょうが!
>
> (♯`Д´)ノ<だから あなたは いつもいつも肝心な時に…ガミガミガミガミ~...byebye☆ 

ははは。誠一のお姉さんよりも、誠一を知り尽くした叱咤。
あれえ?
誠一って、初登場じゃなかったっけ?ww
でも、そうなんですよね。なんにしても詰めが甘い。
結局物語のラストを、うやむやにしてしまうのが、誠一です><
ミズキ、どこ行っちゃったのでしょう。

NoTitle 

>たぶんまだある。きっとある。
忌引き使って、病気で有休とって、楽観しながら向うでない(笑)
ダメ男ぶりがさく裂でなんとも微笑ましいです。

壊すための場所であったとしても、海の欠片は綺麗な分残酷ですね。
どこにいったのでしょうか。
早く探さなくっちゃ!

年末ご挨拶 

まさに人魚姫らしい話の進め方ですね。
こういう泡に例えるところや、
誠一の性格や病気になるところが
人魚姫に通づるところがありますね。

クリスマスも終わり、今年もあとわずかですね。
今年はコメントも沢山頂きありがとうございます。
来年もがんばっていきますので、
またよろしくお願いします。

ごろちゃんさんへ 

> ダメ男ぶりがさく裂でなんとも微笑ましいです。

ははは。
ごろちゃんさんにも言われてしまった。
誠一、どんどんダメっぷりが見抜かれてしまう。
ついつい、ダメ男を書いてしまうのは、何故だろう・・・。

海のかけら。
翌朝見る、前日の夜の花火の燃えカスのような、そんな寂しさかなあ、なんて。
きっと、ミズキは、ちゃんとどこかでうまくやってるんでしょうが。
気になってるのは、誠一だけかもしれませんね。^^


いけ~、誠一。行かなきゃ、話が終わらないよ(笑)
あと1話です^^

LandMさんへ 

LandMさん、いつも読んでくださって、ありがとうございます。
人魚のエピソードと、流れ、しっくり噛み合ってきたでしょうか。
うれしいです。

今年も、あと少しですね。
LandMさんは、年末年始、ほとんど休みがないのですね。
大変そう・・・。
でも、お仕事頑張ってくださいね。
私は、一応明日が仕事収めです。
もう、このシーズン忙しすぎて、バテバテですが、もっと忙しい家庭行事が待ってます。
あ~。お正月は、辛いです><

では、もう一息、頑張っていきましょう^^
良いお年を!

NoTitle 

更新お疲れ様です。
もう今年も終わりですね。

いそがしくて最新話に追いつけておりませんが読ませていただいておりますっ。
来年もおねがいしますっ。

レルバルさんへ 

おお、続々と年末の挨拶が。
何かが終わりになるわけじゃないのに、なにか寂しい年の暮れですね。
るるさんは、田舎に帰られるのですか?

なかなか忙しい毎日ですが、また来年もブログがんばりましょう^^
では、良いお年を!

俺を助けた人魚は 

実はまだ二階にいるのです(←ぶちこわし)
  • #7987 ポール・ブリッツ 
  • URL 
  • 2012.12/28 09:14 
  •  ▲EntryTop 

 

ジョークばかりでもなんなので、真面目に語ることに。

本作品においても、語り手の「成長物語」であることに変化はありません。

この場合、導き手はミズキでしょう。

しかし、また裏返しの見方として、語り手がミズキの「導き手」である、ということも考えられます。

すなわち、真の意味で「子供」から抜け出せないのは、ビルと自分の芸術とに足を取られているミズキ本人であり、そのよりどころが破壊されることによる心身の危機を、語り手との共同作業により止揚して突破することにより「大人」になったとする解釈です。

そこに原作の「人魚姫」に顕著だった「一方的なコミュニケーションとその断絶」に対する「相互的なコミュニケーション」のありかたが現れているのではないでしょうか。

そのコミュニケーションは、「勝利」に終わるのか、惨めな敗北に終わるのかは次回の最終回待ちですが、これがいかなる結末を迎えるのか楽しみであります。
  • #7988 ポール・ブリッツ 
  • URL 
  • 2012.12/28 12:18 
  •  ▲EntryTop 

ポール・ブリッツさんへ 

> 実はまだ二階にいるのです

二階ももう、ないですって~。粉々です。粉々の中にいるって?www

いや、それより、そのあとのコメ。
またまた~~。そんなにプレッシャーかけるーーっ(>_<)

いやいや、本当、あらすじに書いたように、何気ないお話ですから。
けど、言われてみたら、なんちゃって成長物語に見えなくもないですね。
だんだん誠一にパワーがみなぎって、前向きになってきてる。

しかし、ミズキ、なんにもしてないし(笑)誠一も、どこにでもいる、平凡なダメ男だし。
成長物語には、足りないないようですよね。

>すなわち、真の意味で「子供」から抜け出せないのは、ビルと自分の芸術とに足を取られているミズキ本人であり、そのよりどころが破壊されることによる心身の危機を、語り手との共同作業により止揚して突破することにより「大人」になったとする解釈です。

おお、これはおもしろい見方ですね。
そんな風に考えたこともなかったです。
だけど、話の持って生き方がすでに、何らかのメッセージを受け取るのは誠一の担当になっているようです。
無意識に、そういう流れができているみたいです。

>そこに原作の「人魚姫」に顕著だった「一方的なコミュニケーションとその断絶」に対する「相互的なコミュニケーション」のありかたが現れているのではないでしょうか

あ、これもいいですね。
そういうメッセージ性を感じてもらえたら嬉しいです(いや!いま思いついたとかじゃないですからww)

この物語は、どちらかというと、固定観念の打破。抑圧からの解放、視野の拡大・・・。
そして、ちょっと不思議な出来事で蘇る、ノスタルジーな、思い。とか。
そんな漠然とした空間の演出・・・かな?

最終話。
ポールさんの思うようなしっかりしたテーマ性は見られないと思いますが、
まあ、こんなんも、あり? と、ゆる~~い感じで、見てやってください^^

楽しくて、興味深いコメント、ありがとうございました。

(しかし、最終話変えるだけで、けっこう深いテーマにできるんだなあ・・・)

NoTitle 

あっ、つげ義春先生の「李さん一家」はすでに過去のものだったのか(^^;)

齢がバレる発言をしてしまった(^^;)

ポール・ブリッツさんへ 

え? なにかの元ネタがあったのですか?

うーん、ポールさんのはきっと、マニアックすぎるんだ~~><

NoTitle 

一時の夢のような時間・・・梶には思い出せないけどそんな瞬間があったような気がする。
みんなにもあるんでしょうね、そんな思い出せない時間が。

kaziさんへ 

> 一時の夢のような時間・・・梶には思い出せないけどそんな瞬間があったような気がする。
> みんなにもあるんでしょうね、そんな思い出せない時間が。

ああ、そうなんですよ。
まさにこの物語は、そんな、夢のような・・・現実からちょっと離れて、改めて自分を見つめ、開放するような、そんな感覚を描いてみました。
現実から、時に引き離されて、心を洗ってみたいですねえ~><

かじさんも、よいお年を!
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