【短編】 人魚の夜 

人魚の夜 第1話 失態

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雨は、いつの間にか止んでいた。
けれど傘を畳むのも億劫で、高山誠一は、ポタポタと時折しずくを垂れる歩道の街路樹の下を、こうもり傘をさしたまま歩いた。
体はまるで、空気中の水分を全て吸い込んだかのように重く、気だるい。
おかしいな、まだ24だぞ、と情けなく笑ってみる。

すぐ横の、濡れたアスファルトの上を走るシャーッという車の音が何故か遠くに聞こえる。
代わりに脳の奥に広がって来るのは、読経と木魚の単調な音階だ。
そして遺影の中から微笑む父の顔。

「あの万年仏頂面の親父に、こんな笑顔の写真があったのは奇跡だったな」
通夜の席でそう言うと、「まったくだわ」と母はカラリとして言った。

父が病院のベッドで逝ってしまったのは4日前。
誰よりも頑固で実直で、威厳が服を着て歩いているような父だったが、内心ビビリで臆病であったことは、母も誠一も、8歳年上の姉も、よく知っていた。
だから本人が末期の胃癌であったことは、「残り時間は自宅で・・・」と病院に強く勧められ、モルヒネ付きで退院した時も、面と向かって伝えることは無かった。
結局自宅で過ごしたのは1週間ほどで、吐血の末再び病院へ搬送され、そのあとは10日と持たなかった。

だから覚悟は出来ていた。
4日前に姉から危篤の電話を貰ったときも、誠一はあまり取り乱すことなくアパートを出ることができた。
けれど父を看取った晩、誠一を仰天させ、憤慨させたのは、紛れもなくその、“もう逝ってしまった父”だった。

母や姉が、慌ただしく葬儀の段取りを進めているあいだ、何気なく父の書斎に入った誠一は、卓上に1枚の手紙を見つけた。
やはり、自宅療養に切り替わった際、自分がもう長くないと感じていたのだろう。
母に宛てた手紙がただ4つに折りたたまれ、簡素な文鎮の下に置いてあったのだ。手紙と言うより、遺書と言うべきか。

別に、遺書はいい。問題はその内容なのだ。
そこには母への感謝の言葉と共に、いままで隠し続けていた、自分の過去の浮気の事実が書いてあった。
《実は外に子供が1人いる。もう中学生だし、金の話はついている。何の問題もない。ただ、隠し続けていたことを詫びなければ、あの世では外道にまで落とされる気がして今、これを書いている次第だ。申し訳なかった。》・・・と。

「バカか、あんたは!」
咄嗟にくしゃくしゃに丸め、ジャケットのポケットに突っ込んだ。

懺悔して許されて、あの世で極楽浄土に行きたかったか?
正直者の鎧を着て、結局のところ臆病なだけの自己中で。まったくあんたらしい。
母さんを不快にするだけの秘密なら、墓場まで持っていってやれよ。

そうは思っても、やはりあれは世間で言うところの遺書なのだろう。
気弱になってこれを書いてしまった父を、心底気の毒にも思う。
そんなものを、丸めてポケットに入れてしまった事に、罪悪感が無いわけではなかった。
けれど寝不足でどうにも回らない頭では、その問題を追求する事も出来ず、誠一は取りあえず保留にした。
その手紙は今も、身につけているジャケットのポケットに入ったままだ。

3年前から借りている職場近くの安アパートは、実家からさほど遠くないが、アクセスがややこしい。
誠一はバスを乗り継ぎ、電車を降りたあと、フラフラとアパートへの遠い道のりを歩いた。
普段は苦にならなかったが、今日はまるで一気に年を取ってしまったように体が動かない。飲みすぎたせいもあるのだろうか。
明日は仕事だし、無理せずに大通りを渡って、タクシーでもつかまえよう。
そう思い、傘とボストンバッグを持ち替えて、柵の間から横断歩道の方へ体を乗り出した。

カサリとポケットが音を立てた気がした。
ポケットの中に、〈間違ったモノ〉が入っているという感覚。
これはどこかで感じたものと同じだ。何だったろう。
遠い昔、幼い自分の胸を責めた罪悪感。 父親の怒鳴り声。

車の音も、ライトの明るさも感じなかった。
けたたましいクラクションが突然響き、急に左腕を強く掴まれ、後ろに引き戻されるまで、誠一の意識は完全にトリップしていた。
手から離れたこうもり傘が、宙を舞うのを目で追った後、やっと鮮やかな歩行者用信号の赤と、走り去る車のテールランプが目に入ってきた。
誠一の体は、その掴まれた腕に引かれるままに呆気なく後ろにひっくり返り、ボストンバッグを握ったまま、道の隅の水たまりに見事に突っ込んでしまった。

バシャリと大きな音を立て、かなり冷たい10月夜の泥水を全身に浴びた誠一は、唖然として固まった。
クラクションを鳴らした車はこうもり傘を弾き飛ばしただけで、文句も言わず走り去り、車道にはまた、何事も無かったかのように、スムーズな車の流れが戻っていた。

「大丈夫ですか?」
不意に後ろから声がし、振り返ると、1人の軽装の青年が、中腰になって誠一を覗き込んでいる。
たぶん自分も一緒になって水たまりに突っ込んだのだろう。
ジーンズも長袖Tシャツも泥水でぐっしょり濡れていた。
誠一はやっと自分の失態を把握し、顔から火が出る思いだった。
「ああ、大丈夫です」と、何とか答えた誠一に、その青年は再び手を差し伸ばし、「立てますか?」と優しく声を添えてくれた。

泥水がスラックスの中まで染みこんで来たのにゾクリとし、誠一は咄嗟にその手を掴んで立ち上がった。
やはり尻を打ったようで、尾てい骨がズキズキしたが、とにかくそれどころでは無かった。
「ごめん、・・・ぼーっとしてたみたいだ」
申し訳なさと格好悪さから、声がうわずった。

「いえ、無事で良かったです。この道、見通しのいい直線だから夜になると飛ばす車が多いんですよ」
20歳過ぎくらいだろうか。薄い街灯の下でよく見ると、なんとも柔和な顔立ちの青年だ。
そしてその声は、こんな状況にもかかわらず、穏やかでのんびりしていた。

「でも、ごめんなさい。強く引っ張り過ぎちゃったみたいですね。こんなところに水たまりが出来てたなんて。ドロドロだ・・・」
「ほんとだよ。排水設計が全く出来ていない。市に抗議しなきゃ」
誠一が苦し紛れに言うと、青年は笑った。
「すぐ近くに僕の作業場があるんですが、そこで汚れだけでも落として行きませんか?」

一瞬、断ろうと思って口を開いたが、自分の汚れ具合を確かめて誠一は申し出を受けることにした。
このままではタクシーにも乗れそうにないし、歩く気力も残っていない。

そして何より、今は何となく、見知らぬ他人の優しさに触れていたい気分だった。



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~ Comment ~

NoTitle 

「人魚の夜」なのに、この始まりなのですね。
不思議なタイトルにワクワクです。
実直な男の浮気は始末が悪そうだ^^

ただ…
前回よそ様のコメントにあった「15の夜」がツボに入っていたので、読みながら尾崎の歌が頭で流れてしまうことを、止めることは出来ませんでした ( ̄ー ̄)ムフッ

NoTitle 

父ちゃん、隠し子ってか!
それは ないよ~!ヾ(´д`;)ノぁゎゎ
じゃぁ 威厳な父の唯一の笑顔の写真は、別宅に居る時の顔ってこと!?

握りつぶした遺書を持ち帰ってしまって 母親に話す切欠が無くなってしまうんじゃないのかな~


雨上がりの夜 出会った彼が人魚なのかしら
想像してたロマチックな出会いとは ちと違ってたけど 
突発的な出会いって いいかも~♪
。。。。。Σヾ(*☆ω☆*)ノギャアアーー!! ...byebye☆



 

ごろちゃんさんへ 

> 「人魚の夜」なのに、この始まりなのですね。

なんだか、あれですね、昼ドラの冒頭みたいになっちゃいましたね・汗
そういうお話じゃないんだけど、こう始まっちゃいました^^
このお父さんがねえ。きっといろいろ面倒くさい人です^^;

ワクワクしていただいて、うれしいです。
たぶん、タイトル通りの物語になる・・・予定です。・・・たぶん。

> 前回よそ様のコメントにあった「15の夜」がツボに入っていたので、読みながら尾崎の歌が頭で流れてしまうことを、止めることは出来ませんでした ( ̄ー ̄)ムフッ

うおお><
盗んだバイクで走ったりはしませんから~~。(∥ ̄■ ̄∥)(ポールさんめ)

けいったんさんへ 

> 父ちゃん、隠し子ってか!
> それは ないよ~!ヾ(´д`;)ノぁゎゎ
> じゃぁ 威厳な父の唯一の笑顔の写真は、別宅に居る時の顔ってこと!?

おう、隠し子だ、とうちゃんw 隅におけねえ・・・。いや、妙な始まりで申し訳ない!
ドロドロ愛憎劇にはなりませんよ^^
私も笑顔の写真、あんまりないから(っていうか、写真がない)笑顔で撮っとくかなあ・・・。念のため。

> 握りつぶした遺書を持ち帰ってしまって 母親に話す切欠が無くなってしまうんじゃないのかな~

これ、けいったんさんなら、どうします?
母に見せます? 人によって違うんでしょうかねえ。 母の性格にもよるかな?

> 雨上がりの夜 出会った彼が人魚なのかしら
> 想像してたロマチックな出会いとは ちと違ってたけど 
> 突発的な出会いって いいかも~♪

けいったんさんが思う、ロマンチックな出会いってなんだろうな。
やっぱり星空の浜辺で、美女に出会うとか・・・。かな?

びしょびしょ、ドロドロの出会いってのも、たまにはいいかも、ですよ。

さて、この青年が、人魚なんでしょうかね。ふふ。

NoTitle 

慌しくいろいろと済ませるなかで、なんちゅう物を見つけたのでしょう。
それはガックリ来ちゃいますね。

それにしても、このおにいちゃんとの出会い。
作業場に寄らせてもらって、部屋に暖炉があって、って、すでに妄想が始まる・・・

てか、この柔和顔の彼もなぜここに・・・?

けいさんへ 

> 慌しくいろいろと済ませるなかで、なんちゅう物を見つけたのでしょう。
> それはガックリ来ちゃいますね。

がっくりですね、ほんと。どう対処して良いものか、一番困るブツです。
ゆっくり悲しんでもいられない^^;

> それにしても、このおにいちゃんとの出会い。
> 作業場に寄らせてもらって、部屋に暖炉があって、って、すでに妄想が始まる・・・

ああ、暖炉があったらうれしいですねえ。あったまる。
10月末の夜は、冷えるぜ!(だれ)

> てか、この柔和顔の彼もなぜここに・・・?

きっと、自販機にジュースでも買いに言ってたんでしょう。ええ。きっとそうです。ホットコーヒーかもしれない。
(なんて適当なんだ><)

NoTitle 

そういや、雨よく降りますねww
父ちゃん、やってしまってたなんて……複雑怪奇
  • #7826 十二月一日 晩冬 
  • URL 
  • 2012.12/03 18:34 
  •  ▲EntryTop 

十二月一日 晩冬さんへ 

> そういや、雨よく降りますねww

ほんとうだ! 雨ばっかりですね。そろそろ、雪を降らさなきゃ。(そういうことでもない?)

> 父ちゃん、やってしまってたなんて……複雑怪奇

やっちゃいました。真面目な人の出来心は、始末が悪いってことで・・・。
気をつけましょう><

サビ 

♪ 盗んだ遺書持ち帰り出す アクセスも忘れたまま 暗い夜の帳の中へ 誰にもばらされたくないと 逃げ込んだ作業場に 着替えあった気がした 人魚の夜 ♪

……わたし今度こそ絶交されそうだな(^_^;)

ポール・ブリッツさんへ 

♪着替えあってよかったね 人魚の夜~♪

・・・って。ちゃうでしょ。(替え歌がうますぎる><)

あ。まさか、着替えが人魚の着ぐるみだって、ばれたか!!

NoTitle 

隠し子はどこでもいるものですねえ。。。
まあ、時の権力者や経営者などそれなりの財産を持つ人ほど、そういうものはありますよね。あるいは親類縁者のお願いを断りきれなくて結婚するなど・・・。
残された人はともかく、父親は最後まで父親らしい生き方をしたと思います。

LandMさんへ 

意外な人が、実はうわきをしてたりするんですよね。
このお父さん、困ったもんですが、実直なだけに、本気だったのかもしれませんねえ。
たしかに、この父親らしい生き方なのかも。

一生ひとりの人を愛すのは、難しいことなのかもしれませんね。男も女も。ふふ。

NoTitle 

なんか調子の良さそうな文章で、今までの中で一番読みやすかった!
いい感じじゃないっすかぁ!!!

ってエラそうな編集長みたいですんません(^_^;)

kaziさんへ 

うれしいですーーー。kazi編集長ーー。

そうなんですか。
出だしはうまくいったのですね!

文章、内容、共に上達すればいいのですが。
内容については、わりとのんびりな感じです^^

展覧会の絵を見るような感じで、読んでもらえるとうれしいです。

拍手鍵コメNさんへ 

>やはりlime小説は雨が似合いますね、、(それと雨の中の登場人物達の様子がありありとイメージできて素敵です^^)

Nさん、ありがとうございます。
コメントで、「雨がよく降りますね」といわれて、そういえば・・と、気づきました。
雨=鬱々とした心情という、単純な構図ができちゃってるんですね^^
でも、雨はちょうど上がりました。今度は海に潜ります(え?)

別れのあとの出会い。なにか発見があるのでしょうか^^

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NoTitle 

もう〜
次の展開にワクワクするどーー
きっとこうなのかな?
あーなのかな?
にゃんて想像したどーー
亡き父が引き寄せたのか・・・
ううーーー
楽しみだーーー

ぴゆうさんへ 

人魚の夜に、ようこそ^^

まだまだ、予測のできない感じだと思うのですが、のんびり辿っていってやってください。
さらに、迷路に連れて行きます^^
この青年が。

亡き父は、この物語で一番の問題児(問題じじ)みたいです^^
でも、引き寄せたのかもしれません。今思えば。

引き込まれますねー 

お父さんの遺書、これはもしや……と思っていたら、珍しく私の推理が当たってました。
推理っていうほどでもありませんけどね。

そして出てきたこの青年は……もしかしてもしかして?
ではないのかな? 何者なのでしょうか。
この件については後日の楽しみにします。

このショッキングな冒頭からしても、引き込まれていきますね。
先が楽しみです。

あかねさんへ 

お父さんの遺書w
そうとう人騒がせな内容ですよね。
こういうの残されたら、どうしましょう(笑)

この青年は、むふふ。
あかねさんの予想通りかな?
なかなか、つかみどころのない感じで進んでいくと思いますが、そのゆるい感じを、体感してもらえると嬉しいです。

ちょっとショッキングで、そして温かい、青の世界を描けたらなあ~と思います^^

NoTitle 

確かにありえそうな感じですよね(笑)
人は自分が死ぬときには自分自身は身軽になりたいんでしょうけど、それを見せられた方はもう、どうしたらいいのか分からなくなりますよね。。。
そういった意味ではあのクリスチャンの神父様に告白っていうのはいいんでしょうね。。。
神父さんもある意味たまったもんじゃないでしょうけど(笑)
いや、まあお仕事だし!

とりあえず自分は決してするまいと肝に銘じとこう!!(笑)
ちなみにそんな秘密を持たなきゃいいだけですけどね(笑)
  • #10655 ぐりーんすぷらうと 
  • URL 
  • 2013.11/24 21:20 
  •  ▲EntryTop 

ぐりーんすぷらうとさんへ 

わー、「人魚の夜」に、ようこそ。
また読んでくださって、うれしいです。

第1話は、なんだかドロドロな感じで始まってしまいましたが、この後は、この青年が作り出す幻想的な空間がメインになると思います。
(あ、ファンタジーではないです^^)

そうですよね、なんだかこんなお父ちゃん、いるかも。
結構最後になって、地獄とかを信じてしまって、怖くなるとか。
気持ちが弱った時の人間って、そうなのかも・・・。

私もいろいろ懺悔したいな><(不倫は無いです)
神父さんは、また別の神父さんに慰めてもらうのかもしれませんね^^
その神父さんはまたべつの・・・きりがない。

この後は、青の幻想の世界へ、どうぞ!
軽ーい、お話です。

あらすじから第一話 

24歳でお父さんが亡くなってしまうなんて!今の時代には早すぎるかもしれませんね。
遺書ですが、これは母親には見せられないでしょうね。相当ショックを受けると思いますよ。
でも人間だし、男だし浮気したくなるかもしれません。威厳のある父親だと言っても、それは弱い部分を見せられないと言う裏がえしでしょう。だから自分の弱さを出せる人に出会えて惹かれたのかと思います。

この青年は何者なんでしょうね。もしかしてと思いますが、先をよんだら、答えが出てきそうですね。

楓良新さんへ 

あ、こちらの短編にも、来てくださったのですね。
ありがとうございます。
そうですよね、やっぱりお母さんには見せたくないですよね。いくら最後の手紙だって。
うん、浮気っていうのも、私はある程度仕方ないと思ってるんですよ。
人間だもの。
このお父さん・・・魔が差しちゃったんでしょうね。
でも誠一は、許せないんだろうなあ・・・。

この青年・・が、ポイントですよね。
偶然出会ったのでしょうが、ちょっと意味ありげに描いてみました。
はい。随分先ですが、答えは出てきます。ちょっと分かりづらい表現になっているかもしれませんが^^
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