雨の日は猫を抱いて

雨猫 第31話 病

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「すぐに終わると思ってたんだ、そんな悪夢は」
少し曇ってきた窓の外に視線を移したあと、由希は続けた。

倉田ももう話を止めることはせず、先ほどの丸椅子に再び腰掛け、横たわる少年に目をやった。
気の済むまで話させて、そして自分はそれをちゃんと聞いてやろうと思った。

「だって母さんは、僕が3歳の頃からずっと母さんだった。父さんのことが大好きで、僕のこともすごく大事にしてくれた。小学3年生くらいの時に、お酒に酔った父さんに、母さんが継母だって聞かされたときも、それほどショックじゃなかった。血なんか繋がって無くても、母さんが大好きだったし、母さんも僕のことが大事なんだって、信じてたから」

由希はまるで物語を朗読するように、穏やかな声で続けたが、聞いている倉田の胸の方が重苦しくなり、由希と同じように窓の外の薄い雲に目をやった。
それほど信頼し、愛していた母親に、例え精神の病のせいだったにせよ、この子は裏切られたのだ。

「どうして病院に連れて行かなかったんだ? 身近な大人に相談すれば、何とか協力してくれたんじゃないのか? 学校の先生でも、近所の人でも」
「そんなことしたら、もう二度と“母さん”に会えなくなると思った」
「なんで」
「時々ミィの中に、母さんが戻ってくるんだ。閉じ込めた母さんを、ミィが開放してくれるんだ」
「開放・・・?」
「ミィの機嫌を損ねると、母さんを帰してくれない。でも、言いなりになっていたら、ミィはますます我が儘になっていく。恐ろしくなって一度、医者を探そうとしたんだ。そしたらその後、ミィは見せしめのように手首を切った。傷は浅かったけどね。私は病気なんかじゃない。私から離れようとしたら、あんたの母親ごと心中してやる・・・って」
「そんな無茶な。それってまるで・・・」
まるで人質じゃないか。
倉田は言葉を呑み込んで、ぼんやりと窓の外を眺めている由希の横顔を改めて見つめた。
話す内容の陰惨さとは裏腹に、その目元は不思議なほど穏やかに見えた。

「俺が前、一瞬だけ後ろ姿を見て、そのあとインターホン越しに喋ったのは、“お母さん”の方だったのか?」
倉田は奇妙な悔しさを感じながらそう言ってみた。
あの時追いかけて、その母親と直に話をしたならば、何か少しは事態が変わっていたのだろうかと。

「あの日、家に居たのは母さんだったよ。優しい、今まで通りの母さんだった。・・・1時間だけだったけど」
由希は口元だけで小さく笑った。
「その母さんに会うために、由希はずっと毎日我慢してきたのか? 言いなりになり、学校もやめてミィの世話をして」
「馬鹿みたいだと思う? マザコンだって思う?」
「そんなことは思わないよ」
「僕は馬鹿みたいだって思ってた。自分がすごく、馬鹿みたいだって」
「・・・」
「だって、そんな病気あるの? 自分が別人格だって言い張って、気分次第で宿主に人格を返して。聞いたことないよ」

由希は2、3度、瞬きをしたが、語調は相変わらず穏やかなままだった。
「きっと、あれがあの人なんだ。母さんの振りをして、ミィの振りをして。ただ僕の中の父さんの血が欲しかったんだ。その血に復讐しようとしただけなんだ。もともとあの人の中には父さんへの想いしかなかった」
「まさか。そんなことあるわけないだろ! 10年以上も由希を育てて、そんな・・・」
由希の唇が微かに笑った。笑ったように見えた。

「全部芝居なんだよ、きっと。あの人が父さんと離婚して僕を引き取った時から、僕は父さんの身代わりだったんだ。復讐の為なのか、セックスのためなのか、どっちなのか分からないけど」
「何でそんなふうに自分に嘘をつくんだ。本当はそんなこと思ってないんだろ? だから逃げなかったんだろ? 信じていたから。そうだろ?」

由希は少し苦しそうに唇を歪め、目を細めた。
口から出た自分の言葉にショックを受け、汚されてしまったように戸惑っている。
由希のような悲痛な体験などないのに、倉田はその痛みが、何故か体に染みこむように理解できた。
ただ、会いたかったのだ。自分を愛してくれた母に。
その愛情が幻だったのではないかという疑問に、押しつぶされそうになりながらも。

「可哀想だけどな、由希。あの人は病気なんだ。弱かったんだ。俺があの部屋で見た彼女は、おまえの母さんじゃなかった。弱さと寂しさから平常心を捨ててしまった、ミィという別人だったんだよ」

倉田は手を伸ばし、由希の柔らかな髪を撫でた。
由希はゆっくり首を動かし、横になったまま濡れた大きな瞳で倉田を見上げた。
電車の中で初めて見たとき、少女のように見えたのは、この黒目がちの目のせいだ。
倉田は、そんなことをふと思い出した。

だからあの時、あの瞬間、心が揺れた。今なら分かる。
気付かないほど微かな、デジャブだったのだ。

「由希、検査に問題なければ明日にはもう家に帰れるって、先生が言ってたぞ。どうせ明日も仕事休むつもりだし、俺、車で迎えに来てやるよ。でも家に帰る前に先ず、俺のマンションに寄ってくれ」
「倉田さんのマンションに?」
「ああ。今度は俺の話を聞いてくれ。な? いいだろ?」

倉田がニコリと笑うと、由希は不思議そうな目をして、じっと倉田を見つめた。



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~ Comment ~

NoTitle 

心のの病ってなんだろう・・
かなり辛い想いをしなければ、簡単に心の病なんてものにはかからないだろう・・・と思っていたけれど、ちょっとしたタイミングの悪さなんかでなってしまう場合がある。それは想いがすごく強かった場合。
まじめな人がなりやすいと良く言うけれどまったくその通りで・・・

きっとお母さんも本当に心の底から愛していたんだろうな。
悲しくて悲しくて、しょうがなかったんだろうな。

kaziさんへ 

人間の心って、ほんとうに不可解なものですよね。
心身症、心の病って、ほんとうにある日、突然起こってしまいます。
奈落に落ちるように。

実は10年ほど前、わたしもストレスから陥ってしまったことがあって。(ミィみたいなんじゃないです・汗)
3年かけて、すっかり抜け出す事ができましたが、想像を絶する地獄がありました。
人間の心って、こんなに脆いもんなんだって、思い知りましたね。

だから、例えばドラッグなんかで、精神がボロボロになるっていうことも、容易に想像できるようになりました。
なかなかできない、貴重な経験でした。(二度となりたくないですが^^;)

> きっとお母さんも本当に心の底から愛していたんだろうな。
> 悲しくて悲しくて、しょうがなかったんだろうな。

そこなんですよねえ。
ミィの本当の心情は、ここでは描いていないので、本当のミィの心の内はわからないんですが、
弱い人間だったんでしょうね。
弱さというのも、ある意味罪だな・・・と。

今からではもう、ミィの愛情を確かめる術はないと思われるのですが。
さて、どうなのか。
ここからが、本題。このあと、物語の静かなクライマックスに向かいます。

NoTitle 

由希の話しを聞いた後の コメ欄での kaziさんやlimeさまのを読んでいると  色々と思い&考えてしまいます。

みぃの様に 完全に心が壊れてしまう人
本人の自覚有無があって 少しずつ 壊れ(壊され)ていってる人
でも 
普通に装っていても 少しずつ傷つけられ 負っているのは、確か

誰もが いつ 由希や みぃになっても おかしくないでしょう

デジャブ…
もしかして 倉田にも?
ナカミハ ナニ?(o・ω・o)σツンツンッ((○Oo(= = ) トオイメ...byebye☆

けいったんさんへ 

おお、いろいろ考えてくださったのですね。
わたしも、転んでもタダで起きない精神で、経験から思うことを描いてみたいと思うのですが、
やはり、心の病の世界は、未知で、真っ暗で、確証が持てない分、リアリティを出せない世界ですよね。

> みぃの様に 完全に心が壊れてしまう人
> 本人の自覚有無があって 少しずつ 壊れ(壊され)ていってる人
> でも 
> 普通に装っていても 少しずつ傷つけられ 負っているのは、確か
>
> 誰もが いつ 由希や みぃになっても おかしくないでしょう

そこが、怖いところですよね。
心の病って、たぶん千差万別で、きっと心療内科の先生だって経験がないと、
相手の心がどんなふうになってるのか想像もつかない。
死に至る病と同時に、他人をどんどん傷つけてしまう場合もありますし。

ストレス社会&人間が弱くなってきてる・・・。
きっと、いますよね。
人知れず泣いているミィや、由希。><

> デジャブ…
> もしかして 倉田にも?
> ナカミハ ナニ?(o・ω・o)σツンツンッ((○Oo(= = ) トオイメ...byebye☆

ふぉほほ。
なんでしょうね、デジャブ・・・(デジャヴュか?)

次回、なんとな~~く、からくりがわかるかもです。
23話で、はっきりしますが、そしたらもう一回、2話を、読み返して見てください^^
(って、指示する厚かましい作者)

NoTitle 

お母さんが閉じ込められていたんですね。
たまにしか現れないお母さんを、ミィの奥に探していたのか。
だったらなおの事、寝室での出来事は心の傷ですね。
辛すぎます。

それとは別の感情として、もうすぐ終わってしまうのも残念だわー^^

NoTitle 

近くにいる思わぬ人がこころの病だったりするものです。

国民病になってしまった感のあるうつ病はいわずもがな、統合失調症や双極性障害なども想像する以上に多いものですからねえ……。

NoTitle 

存外に心の病は誰にだってありますからね。
弱くなったときこそ強くなるチャンスでもありますけどね。
私もそうですけど。
こういうときをどう切り抜けるのか。
それが人生ってものですね。

ごろちゃんさんへ 

これ、実際にこんな状況があったら、本当に悲愴ですね。
由希の方が、病気になってもいいくらいの。
しかしこれ。
人格障害じゃなくて、わかった上で彼女の我が儘が暴走して、やってしまったことだったら、もっと悲惨です。
それを恐れながらの、寝室での行為。
由希、辛かったと思います・・・。(誰のせいだ)

> それとは別の感情として、もうすぐ終わってしまうのも残念だわー^^

そう言っていただけると、とてもうれしいです!
始めて、シリーズものでない、一編のつもりで書いた作品なので、わたしも寂しいです。
(とか言って、沢村の番外とか書いたら笑ってやってくださいw)

時間を割いて読んで頂くには申し訳ない拙作ではありますが、最後まで(頑張って)お付き合いいただければ幸せです。
最後まで大事に大事に、書いていこうと思っています^^

ポール・ブリッツさんへ 

> 近くにいる思わぬ人がこころの病だったりするものです。

そうなんでしょうね。
外見で分からない心の病って、本当にありますね。
私の場合、3~4年も病んでいましたが、表面は死ぬ思いで笑っていましたから、誰にも気づかれませんでした。だから助けてももらえませんでしたが^^;

> 国民病になってしまった感のあるうつ病はいわずもがな、統合失調症や双極性障害なども想像する以上に多いものですからねえ……。

おおいんですよね。心療内科って、いつ行っても大繁盛で。
でも、あれってなかなか薬ではなおりませんし。

長いこと付き合っていた友人に、ボーダーと呼ばれる心身症の人がいまして。
他者を巻き込んでしまう破壊力。でも、気づかないんですよね。本人も周りも。
気づいたときには、お互いの生活がめちゃくちゃになっていたという・・・。
心の病って、本当に多種多様で、改めて、小説などで安易に手を出しにくい世界だと、感じます。
(出してるし)

LandMさんへ 

> 存外に心の病は誰にだってありますからね。

心の病の種は、きっと誰もがもっているんでしょうね。怖いことですが。
でも、本当に重症化してしまうと、取り返しがつかなくなりますがら、防がねば。

対策は、やはり強くなること。
ポジティブになること。
簡単なことのようだけど、それがなかなか難しいですよね。

体の鍛え方も大事だけど、人間は、心の鍛え方を学ばねばならないような気がします。
・・・鍛えられるのかな?

拍手鍵コメNさんへ 

>一区切りの話が終わった後に残るお互いの気持ちの揺れが文章から滲みでるようでした。
>これから先のお話で何かを取り戻したり新しいものを得たりしていくのでしょうね、、^^!

ありがとうございます! 大きな波を超えて、ここから静かに、でも一番大事なエンディングに向かいます。
みなさんに、納得していただけるラストになるのかどうか、ドキドキしています。
あと3話。どうぞ、見届けてやってください^^

> (ちなみに私は沢村の一途なとこが好きですww^^)

ははは。
ほんの脇役だったんですが、なぜか意外とコメントに登る沢村くん。
彼の番外とか、書きたくなってきました。
(すごく、薄味になりそうですがw)

NoTitle 

いよいよ、倉田さんの告白が聞けるのでしょうか。
由希を見ると思い出してしまう過去・・・気になります。

しかしこの母親も気の毒ではあるのですが、由希じゃなかったらここまで受け止めてはあげられなかっただろうと思わせます。
由希はとても愛情に溢れた子ですね。
こんな子が近くにいてくれたら癒されるだろうな~

西幻響子さんへ 

> いよいよ、倉田さんの告白が聞けるのでしょうか。
> 由希を見ると思い出してしまう過去・・・気になります。

はい^^
次回・・・いや、次次回かな?
倉田の告白が聞けます。
でも、「由希を見ると思いだしてしまう過去」ではなく、「今まで気づかなかった真実」・・という感じかもしれません^^
倉田の中で今、すごいことが起こってます。たぶん。

> しかしこの母親も気の毒ではあるのですが、由希じゃなかったらここまで受け止めてはあげられなかっただろうと思わせます。
> 由希はとても愛情に溢れた子ですね。

ああ、そうかもしれませんね。
全ては由希の、「もう一度母に会いたい」という一途さのせいで。
そう思うと、かわいそうになってきます。
あの母親・・・帰ってくるといいんですが。望み、薄いですね><

こんな子・・・欲しいですね(爆)

NoTitle 

>「由希、検査に問題なければ明日にはもう家に帰れるって、先生が言ってたぞ。どうせ明日も仕事休むつもりだし、俺、車で迎えに来てやるよ。でも家に帰る前に先ず、俺のマンションに寄ってくれ」
「倉田さんのマンションに?」
「ああ。今度は俺の話を聞いてくれ。な? いいだろ?」

……女性に向けて言ったならば、中々のプッシュ加減なのに、相手が坊や……口下手な倉田のわりには中々のストレートですね、ここ
遂に、あと三話!
  • #7481 十二月一日 晩冬 
  • URL 
  • 2012.10/18 18:30 
  •  ▲EntryTop 

十二月一日 晩冬さんへ 

そう言われれば、そうですね。
これが、女性相手なら、すごくスマートな誘い文句だ・・・。

相手が坊やで、残念。

いや、本当に相手が女性だったら、下心が出て、こうもうまく口がまわりませんって。それが倉田w
「なあ、いいだろ? なあ」とか言って・・・。(女、去る・・・みたいな)

ついにあと3話です。
穏やかですが、でも、ポイントに向かいます。

NoTitle 

自分でもよく分からないんでしょうね。
なんでそうなったのかとか……。

なりゆきが理解できないこと、おいらも多いです。
きっと……そういうことでしょうっ。

るるさんへ 

わかんないですよね。
特に、健全な由希とか、ね。

「なんでこうなっちゃった?」的なこと、人間関係でもありますよね。
大抵は悪い方向で。
るるさんも、がんばっていきましょう!
いや、るるさんは健全な学生生活をおくっていますよね^^;

また、そちらに遊びに行きます。

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鍵コメSさんへ 

そうなんですか><
そんなになるまで、悲しかったんですね。
それはSさんの愛情が深すぎて、やさしい故なんでしょうが、辛かったですね。

私も心の病になったことがあるので、人間の心の複雑さ、弱さ、壊れやすさは、すごく良くわかります。
他人にはわからないところで、心が必死に戦ってるんですよね。
そんなとき、立ち直るきっかけがあるか、ないかで、その後の人生も変わってくるんだと思います。
Sさんは、勝ててよかった。
ミィなんかと違い、立ち直るしなやかな強さがあったんですね。
辛いこと、思い出させちゃって、ごめんなさい。でも、コメ嬉しかったです。
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