雨の日は猫を抱いて

雨猫 第29話 この命を

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手に届く窓は、片っ端から開くかどうか引いてみた。
玄関口、居間の窓、勝手口。トイレらしき場所の小窓。
雨戸は閉まっていなかったが、どこもきっちりと鍵が掛けられている。
これが最後だ、と手を伸ばして引いた小窓が、ガラリと音を立てた。
幸い、格子も何もはまっていない。

いざ開いた窓を目の前にすると、自分の奇異な情動に一瞬ひるんだが、このまま帰るという選択肢はもう倉田の中に無かった。
---通報されても構わない。言い訳なら、得意中の得意だ。---
倉田は自分でも説明のつかない焦燥感に突き上げられながら、その小さな窓に飛びつき、家の中に侵入した。

そこはトイレ横の洗面所の小窓だったようだ。
中は薄暗く、ムンとするアジア系の香の匂いで満たされていた。
脱ぎ忘れていた靴を洗面台の上に置くと、倉田は由希の名を呼びながら一階を探し回った。
けれど由希の返事は無い。
居間、台所、風呂。
10秒もかからぬうちに、一階の全ての部屋を見終わったが、人の気配すらない。

奥の、狭くて急な階段に飛びつきながら、もう一度名を呼んだ。
「由希。居るのか? 由希!」
返事はなかったが念のためと、階段に足をかけた時だった。
まるで小さな女の子のようなすすり泣きが聞こえた。

ゾクリと倉田の背に冷たい物が走った。
「由希?」
走り上がりながら、そのすすり泣きに耳をすませる。
泣き声の合間に、ヒューッという悲痛な声も、漏れ聞こえてきた。
2階には、階段の突き当たりに1部屋と、右側に2部屋。
倉田は、声のする一番奥の部屋のドアを開けた。
そして一瞬息を止める。

結界でも張っているかのように攻撃的な香の匂い。
そして無理やり自然光を遮った、胸の悪くなるような重苦しい闇。
目を凝らすとダウンライトの僅かな灯りが、じんわりと暗がりに像を結び始めた。

黒いカーテンで覆われた窓際にベッドがあり、その上に白い体が横たわっていた。
倉田は直視する前に、右手で壁を探り、電気のスイッチを突きとめてONにした。
目のくらむ蛍光灯の光りが闇を払拭し、その不気味な空間を現実世界に引き戻した。

電気をつける前に一瞬目にしたものが、見間違いであってくれと願いながら、再びベッドに目をやった倉田だったが。状況は変わらなかった。

ベッドの上には由希がいた。
全裸の細い体を窓のほうに向け、苦悶の後のように体をくの時に折り曲げ、微動だにしない由希が。
縛られてはいなかったが、目元は青い布がきつく巻かれている。
倉田は声にならない声をあげ、半ば自分が見ているものが信じられぬ思いで、少年の体に飛びついた。

焦って震える手で、何とか目隠しの布を外し、ぐったりとした体を抱き起こし揺すったが、何の反応もしない。
ゆるく閉じた瞼は恐ろしく青白かった。
「由希! 由希!」
ほとんど涙声になっている自分の声に、自分自身が怯えながら、倉田は由希の体を更に強く揺すった。
その反動でうっすらと開いた目の縁に、涙のあとがあった。その瞳は今、何も見ていない。
倉田の大声に触発されたように、部屋の隅で女のヒステリックな泣き声が上がったが、倉田にはそちらを振り向く余裕も無かった。

腕の中の少年は、息をしていないのだ。

「由希!」
首筋に自分の震える指先を押し付けたが、脈が感じられない。
倉田の正気を保たせてくれているのは、その体の仄かな温もりだけだった。
倉田は由希の裸の体を真っ直ぐ仰向けに寝かせ、足元に丸まっていた薄い毛布を下半身にかぶせると、その上にまたがった。
拳を振り上げ、その薄い胸を4度強く叩いて反応を見たが、呼吸は戻って来ない。
すぐさま倉田は同じ箇所に両手を重ね、力を込めて心肺蘇生を始めた。
実際にそれをやるのは初めてで、そしていったいなぜ今自分がそんな行為をしているのか、混乱した頭ではきちんと整理できなかった。現実なのかどうかの感覚もない。
ただ必死にその胸に自分の掌を沈めながら、見下ろした。

少年の胸や腹には、新しく付けられたと思われる真紅のアザがいくつも散っていた。
深夜、熱の引く前に由希は、ここまで多分歩いて帰ったのだ。
・・・衰弱しきっていた由希の体に、この女はいったい何をした!・・・

「救急車! 早く救急車を呼べ! 由希が死んでもいいのか!? あんた母親だろう!」
倉田の怒号に、壁際にしゃがみ込んでいた女は更に「ヒーッ」とヒステリックな声を出し、背を丸めて泣きじゃくるだけだった。
倉田は心底怒りと憎悪を抱き、心肺蘇生を続けながら、その時初めて女を直視した。

「!・・・」
倉田の中で、何かがスパークし、頭の中が空白になった。

けれどそれも一瞬だった。
由希と出会った瞬間の映像が刹那よぎり、全ての運命のイタズラに気付いたが、そんな衝撃は今、取るに足らない。
どうでもいい。
今は、この手の中にある命を、とにかく全身全霊をかけて救いたかった。
由希の小さな顎を強く持ち上げ、鼻をつまみ、少し開いた唇を包み込むようにくわえ、ゆっくり息を吹き込んだ。
学生の時、プール監視員のバイトをする際に人工呼吸と心臓マッサージを一度だけ教わった。けれど10年以上がたち、記憶が曖昧だ。
全神経を集中してそれを思い起こし、震える体をなだめながら、倉田は繰り返した。

壁際の、裸体にシーツを巻き付けて泣いている女は、もう役には立たない。
3度目の心マの時、倉田は片手で携帯電話を取りだし、救急車を呼んだ。
『呼吸停止から、何分が経過しましたか?』
落ち着いた声でそう訊いてくる署員に、「そんなこと知るもんか! さっさと来いよ!」と、大声で叫んでしまった。
自分がひどく理性を失っていると言う事。
そして心マを続ける由希の胸が濡れている事で、自分が馬鹿みたいに泣いていると言うことだけが、分かった。

何度も何度も繰り返す人工呼吸と激しい緊張で、倉田の意識が朦朧となっていった。
子供の柔らかい胸に力を掛けすぎると肋骨が折れてしまうと言う知識も、意地悪く脳裏を過ぎり、倉田を苦しめた。

そして、横から絶えず聞こえてくる、女のすすり泣く声だ。
倉田は生まれて初めて、人を殺してやりたいと思った。
今、この手の中で少年の命が消えてしまったら、きっと自分はこの狂った女を殴り殺してしまうだろうと。

「泣くな! 全部あんたのやったことだ! 自分がやったことを見ろ! こんなに由希を苦しめて、何が楽しいんだ。なあ、言ってみろよ!」
怒鳴る端から、頭かクラクラした。
1度に15回の心マ。今、何回胸を押しただろう。なあ、・・・由希。数えてたか?
またポトリと青白い胸に涙が落ちた。

「うっ・・・えっ・・。ちがうもん・・・ミィ、何もしてないもん。由希と遊んでただけじゃん。そしたら、急に由希が苦しみだしただけだもん・・・。ミィ、ぜんぜん悪くないもん!」
もう倉田は返す言葉を探すのにも疲れ果てていた。
ベッドから降り、再び由希の唇を自分の唇で塞ぎ、ゆっくりと息を吹き込む。

『僕は、倉田さん、とても優しい人だと思います』
由希の書いた言葉が、朦朧とした頭に、由希の声になって響いてきた。

『さよなら。あなたに会えて、よかったです』

胸の底から突き上げてくる嗚咽を、倉田は堪えることができなかった。
嗚咽の隙間で、由希に息を吹き込む。
涙でもう、由希の顔も見えなくなった。
再び心マの体勢に戻り、由希の胸に手を置いたとき、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
安堵でフッと意識が途切れそうになるのをこらえ、再び手に力を入れる。

「あんたはなあ、・・・ミィなんかじゃない。あんたの弱さと我が儘が、由希をこんな目に遭わせたんだ。それだけ良く覚えとけ」
けれど、女は長い髪を振り乱して、首を左右に振った。
すすり泣きは止まらない。
「思い出せよ。ちゃんと思い出してやれよ。あんたはこの子を愛してた。亭主の身代わりなんかじゃなく! 母親として、ちゃんと愛してたんだ。俺は・・・俺は知ってる!」

救急車のサイレンが家の前で止まると、倉田は滑り落ちるように一階の玄関に向かった。
玄関の鍵を開け、救急隊員に状況を説明するまでは意識があったが、やがてグラリと足元が崩れ、視界は白一色に包まれた。

そのあと倉田が目を覚ましたのは、由希が搬送された病院の、簡易ベッドの上だった。


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~ Comment ~

Σ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) ガビーン 

あまりの展開に 何を書いていいか…!

ま・まずは、今は もう 寝ます!
あぁ~でも 悪夢に魘されそう~~!
{[(-ェ-:)]}zzz""。o 0((【・:*:・Ψ(`∀´)Ψhehehe ・:*:・】))...byebye☆

けいったんさんへ 

いや、申し訳ない。
ほんと・・・。
悪夢を見なかったか心配です><
私も、この原案を書いた半年前、頭痛で寝込みました。

こういうの好きですよ。 

>結界でも張っているかのように攻撃的な香の匂い。
これがいいですねー
私の好みです^^

倉田の頭をスパークさせたミィはどんな女だったんだろう。
テンポが良くて、次回が楽しみです。

NoTitle 

あ~あ、倉田失神。
ショックだったんだろうなあ。
私たち読者と違って、倉田は予想すらできなかっただろうし。

由希は助かりますよね。もう二人死んでいますから。
>すべての運命のイタズラ
って何だ? 期待して待ちます。

気持ちを切り替えて!|´▽`●)ノ |Ю  |  こんちわぁ~♪ 

倉田が駆けつけたら きっと 由希とみぃの…な場面を見ちゃうだろうなぁと、思ってたのですが...
まさか 由希が、こんな状態になっているとは 本当に吃驚して!
それでも 倉田の声で 由希が意識を取り戻すと、思ったのも 悉く ハズレテしまい もう 何が何だか~~の私でした。ヾ(:´Д`●)ノアワワワヾ(●´Д`;)ノ

それにしても 最後の最後まで見届ける事無く 意識を飛ばす倉田って…
あぁ~もう~あの後 由希が 如何なったのか さっぱり分かんないだもんなぁー
倉田さんよー、シロウさんからも頼まれたんだから しっかり してくれないとー ε~(´・_・`:)フ~ 

由希の笑顔が 再び見れます様に☆彡 ☆彡 (-人-;) 願い事願い事

心配掛けましたが、夢も見ないで 爆睡でした~(笑)
エヘヘ♪(*∋▽∋)zzz...byebye☆ 

ごろちゃんさんへ 

今回は特に、読者さんの反応がとても心配だったので、
そう言っていただけて、とってもうれしいです!

>>結界でも張っているかのように攻撃的な香の匂い。
>これがいいですねー

おお、そこに反応いただけるとは思っていませんでした。うれしい。
自分を語らない(語れない)ミィの感情、主張のつもりでした。

確か、この香についての詳しい説明はしていないと思うんですが、あとあとミィの人間性と合わせて感じていいただけると、嬉しいなあと思いました。
全ての事柄を、説明すべきかどうか。いつも悩むところです。

倉田がミィを見て受けた衝撃。
もう少しあとで、じわ~っとわかるはずです^^

しのぶもじずりさんへ 

> あ~あ、倉田失神。
> ショックだったんだろうなあ。
> 私たち読者と違って、倉田は予想すらできなかっただろうし。

あ!そうですよね。読者さんは、何か起こってるって予感はありますもんね。
倉田が予想していたのは、多分虐待くらいだったでしょうし。

> 由希は助かりますよね。もう二人死んでいますから。

ははは・汗
過去の長編で、主役を殺してしまった私ですので・・・。さて・・・。

> >すべての運命のイタズラ
> って何だ? 期待して待ちます。

期待に添えるかわかりませんが、倉田の驚きが、もう少しあとで、じわっと分かるはずです。

残り5話。どうぞお付き合いください^^

再び、けいったんさんへ 

きゃあ、また来てくださってうれしいです^^
悪夢を見ないで朝を迎えられたんですね!

> 倉田が駆けつけたら きっと 由希とみぃの…な場面を見ちゃうだろうなぁと、思ってたのですが...
> まさか 由希が、こんな状態になっているとは 本当に吃驚して!

そうか、そういう想像が最初に来ますよね。
私の中には、もうこのシーンしか、なくて(アブナイ)
目を覚ましませんでしたね、由希。
このシーンはどうしても、私の中で必要だったわけでして・・・。

でも、考えてみたら、倉田が飛び込んだとき、由希とミィが、最中だったらどういう展開になるんでしょう。

「・・・あ」
「・・・あ」
「・・・いや、あの・・・」
「・・・」
「すみません。おじゃましました」

・・・とか・・・。・・・?

> それにしても 最後の最後まで見届ける事無く 意識を飛ばす倉田って…

そうです。
最後に果ててしまいましたね、倉田。
見届けんかい!
でも、彼にしては頑張ったような気がします(玉城だったら、踏み込む前に、帰ってるパターン・笑)

もう、本作で2人と1匹、死者を出している作者。

由希の笑顔・・・私も見たい・・・んですが・・・><

 

倉田が写したスキャンダルがらみの女ですか?

思いつくのはそれくらいです。
  • #7429 ポール・ブリッツ 
  • URL 
  • 2012.10/09 18:50 
  •  ▲EntryTop 

ポール・ブリッツさんへ 

ああ、なるほど! そういうことも考えられますね。

そうか・・・。むむむ。

NoTitle 

ご無沙汰してました(^_^;)

一気に3話読みました。
ぐっときました!倉田の想いの強さがとても素敵です。
ラストに向けて、ゆっくりと楽しんで書いてくださいね☆

出来たら・・・

kaziさんへ 

おはようございます~。

おお、一気に読んでくださいましたか。ありがとうございます!
一番、しんどいハードな部分だったので、疲れさせてしまったのでは?と、心配です。

倉田の心情をわかってくださって、すごくうれしいです^^
あとは、ラスト5話、突っ走ります。
はい! 楽しんでおりますよ^^
作者が楽しみすぎては、良い作品にならないとは思いつつ・・・。

どうぞ、あと5話、おつきあいください。

NoTitle 

賞を獲った写真に映っていたとか、かな……

なんか、あの書置きの感じからして、もうこれは――な気がしてならないです。
倉田が目を覚ましてこの後どうなるんだろ。たぶん雨降っていそうww
  • #7438 十二月一日 晩冬 
  • URL 
  • 2012.10/10 17:13 
  •  ▲EntryTop 

十二月一日 晩冬さんへ 

晩冬さんも、いろいろ推理してくださってますね^^
いや、あまり複雑なことではないんです。
じわ~~っと、回収していきますね。

>なんか、あの書置きの感じからして、もうこれは――な気がしてならないです。

晩冬さんが、死亡フラグ立てちゃったからです。・・・とか、晩冬さんのせいにしてみる(笑)

このあと、雨が降っていたら、もう、ダメな気がしますね><
この作品、初冬なのに、雨多すぎ。

・・・倉田が目を覚まさなかったりして(爆)

あと5話。どうぞお付き合いください!

NoTitle 

いよいよ物語も佳境でしょうか。
さまざまな色合いの「狂気」が交錯するような様相をていしてきましたね。
今までのlimeさんの作品と違って、色鮮やかに感じます。
これまではパステル画だったのが、この作品では油絵のような。
つまり濃厚ということかな?

けいったんさんへのコメ返の「私も、この原案を書いた半年前、頭痛で寝込みました。」に笑ってしまいました。
著者も寝込んでしまうほどのシーンだったんですね(笑)

西幻響子さんへ 

> いよいよ物語も佳境でしょうか。
> さまざまな色合いの「狂気」が交錯するような様相をていしてきましたね。

ありがとうございます。もうここまで読んでくださったのですね!
こういう形で盛り上げたくはなかったんですが、ここら辺からが、佳境ですね。
この狂気。丸く収まるわけではないかもしれないけれど、やはり描いておきたかったのです。

> 今までのlimeさんの作品と違って、色鮮やかに感じます。
> これまではパステル画だったのが、この作品では油絵のような。
> つまり濃厚ということかな?

おお、そうなのですか。絵に例えられると、はっとしますね。
そうか、油絵。
なんだか嬉しいです。今までと違った色がだせているということですもんね。^^

> けいったんさんへのコメ返の「私も、この原案を書いた半年前、頭痛で寝込みました。」に笑ってしまいました。
> 著者も寝込んでしまうほどのシーンだったんですね(笑)

ええ、もう、頭痛がひどかったです><
すっかり倉田と同調して、あたふたして。
人工呼吸してるような気持ちになってくるんですよ。もう、苦しくって。
惨殺シーンなんか書いたら、きっと死んでしまうなと、感じました。
ひ弱な著者です。
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