雨の日は猫を抱いて

雨猫 第18話 欺瞞

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「あったかいね」
ひんやりした手が由希の柔らかい黒髪の中に差し込まれ、頭皮に触れた。
背筋がゾクリと泡立つ。
その冷たさはゆっくりと下降し、目隠しのバンダナの上を滑って頬を撫で、首、そして胸へ落ちた。
「熱があるのね」
由希の首筋あたりで、その甘い声はフッと楽しそうに笑った。
「由希の体、温かくて気持ちいい。この体、好き」

ミィは無邪気な声でそう言うと、由希の腰をぎゅっと抱きしめた。
普段よりも少しばかり高い体温を、自分の肌で絡め取ろうとでもするかのように。
体温と一緒に、自分の中の大切なものが少しずつ溶け出して、ミィに吸い取られていくような気がした。

最初こそ、このミィとの時間は由希にとって苦痛でしかなく、自分の意識も思考も停止させ、無でいることで何とか自分を保っていた。
けれど今はもう、そうやって自分の中の何かを守ろうとすることも、馬鹿らしくなった。
抵抗をやめた。
自分を守ることをやめ、僅かばかりのプライドを手放した。その途端、楽になった。
嫌いだったアロマの濃厚な香りが、嗅覚が麻痺してしまったのか、あまり感じられなくなってきたのと同じ事なのだろう。
嫌いなものだって、慣れてしまえばいい。そうすれば辛くなくなる。少しは。

ミィの気配が次第に下腹まで降りて行き、ぺたりと臍の上に頭を乗せてきた。
由希の下肢に手を滑らせながら再び「あったかい」と、幼い声が笑った。

「僕が小さい頃、母さんはね・・・」
由希が静かに言うと、由希に触れるミィの手が動きを止めた。
「僕が熱を出すと、いつも慌てて病院に連れて行ったよ。5歳の頃、熱のせいで痙攣起こして死にそうになってから、怖くなったみたい。家にはいつでも解熱剤がたくさん置いてあった」
「うるさい。しゃべるな」
「すごく僕の体を心配してくれた」

ギシリと腹の上で動く気配がしたと思った、すぐ後。
冷たい手がパンッと由希の頬を打った。
目隠しのせいで身構えることも出来なかったが、その分怖くもなかった。
頬の痛みなど何でもない。三つ呼吸するうちに消える。

「あの女の事は聞きたくないって言ったでしょ!」
「だけどね、ミィ。僕、分からないんだ。あれは僕のことが心配だったのかな。本当に母さんの優しさだったのかな」
「知らないわよ、そんなこと」

もう一度手のひらが飛んで来ることを覚悟しながら由希は続けた。
「あれはただ、病気をさせるのが怖かっただけなんじゃないのかな・・・って」
「知らないって言ってるでしょ? そんなの本人に訊けば?」
「会える?」
「さあ、どうかしら」
もう頬を打たれる心配はなさそうだったが、代わりに由希の体にピタリと重なるように、ミィは体を乗せてきた。
豊満な胸に押しつぶされ一瞬息が詰まったが、その様子にミィがクスクスと笑う。
自分は、この女の中では、ただの玩具なのだと改めて感じた。
「あったかい」
再び自分の上で上機嫌に呟くミィの声を聞きながら、由希は喉の奥で力なく笑った。

“母さん。あなたは僕を、愛していてくれましたか?”

心の中で不毛な問いかけをしてみる。
答えてくれるものなど居ないのに。
涙はいつもと同じ、目隠しの布に吸い取られ、いつの間にか消えていった。


             ◇

倉田はその日の帰り、再びあの公園がある泉ヶ丘で下車した。
予定外のトラブルで休日が短くなったが、なんとかこじれずに片が付き、空いたスケジュールはストックフォトの撮影で埋めることにした。
大丈夫。なんとかなる。
倉田はポケットに手を突っ込みながら改札へ歩いた。
ポケットの中で、相変わらずおとなしく収まっているコンパクトカメラと、返しそびれた小さな合皮の手帳が手に触れた。

別に性懲りもなく、自分の駅のひとつ手前のこの駅で降りる予定など無かったのだ。
けれど電車の中でその生徒手帳をめくるうち、頭からあの少年の事が離れなくなった。
今朝倉田を待つように、青信号を渡らずに、じっと横に立っていてくれた少年。
大事そうにホームレスの男がくれたパンを、腕に抱えていた少年。
そういえば、熱は下がっただろうか。バイトに行くと言っていたが、どうしたろう。
手帳のカレンダーにはバイトの日に星印と時間が書き込まれているが、その記載も昨日までで途切れている。
一週間前からこの手帳は倉田が奪っているのだから、新しい情報が書き込まれていないのは当然なのだ。

“どうして僕を追いつめるの。僕が何かしたの?”

・・・どうして?

あの時。はじめて少年の小さな犯罪を見たとき、何故自分は喜々として彼に近づこうとしたのか。
正義感などでは無かった。確かに嗜虐的な快感があった。
脳の奥で、何かがチリチリとくすぶった。
少女とも少年ともつかない綺麗なガラスの目の中に、それにそぐわない陰鬱な影を見た気がする。
そして、それが自分の“何か”に触れた。
なんだったろう。あの感覚は。

足は駅前の通りを渡り、あの公園の奥に向かっていた。
真っ直ぐ由希の家に行っても仕方ないという思いもあったが、あの段ボールハウスの並ぶ場所と由希を繋ぐものが気になっていたのも確かだ。

1ヶ月前のホームレス撲殺事件。そして数日前の高校生殺害事件に、由希はきっと何か関わっている。
その事と、自分が由希に執着する理由は別物だとは思ったが、全く切り離して考えることは出来なかった。
知りたい。
その単純で子供じみた欲求は、やはり収まる気配は無かった。

時刻は4時過ぎ。
まだ充分明るかったが、ホームレス小屋の周りには、いつものようにひっそりとしている。
けれどシラカシの葉の茂りの下、比較的土の柔らかそうな辺りに、黙々と土をスコップで掘り返す男の姿があった。
シロウだ。

朝、由希を残して仕事に出た男だ。もう帰ってきたのだろうか。
声を掛けてみようと思い立ち、踏み出した倉田の視線が、シロウの足元に止まった。
踏み出した足も止まった。
考えるよりも先に右手が動き、ポケットの中のカメラを起動させて音もなくシャッターを切る。
早い連写が可能なそのカメラは、瞬く間に十数ショットをデータに収めた。

土を掘る男。そして男の足元に積み上げられた、幾つもの鳩の死骸。
それらはグニャリと首を曲げ、目を閉じ、かつて生きていたときの輝きを微塵も感じさせぬ悲しい物質へと成り果てていた。

シロウは気配に気付いたのか、土を掘る作業をやめ、緩慢に振り向いた。
倉田がポケットにカメラを滑り込ませるのと同時だった。



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~ Comment ~

NoTitle 

いいなぁ……。
おいらも抱きしめられたいし抱きしめたいです。
はぁ……。
ひと肌が恋しい……。

るるさんへ 

るるさん、人恋し病がまだまだ続いてるのですねえ><
でも、わかる気もするけど・・・。
抱きしめられたいとか・・・。

あ、でもミィは怖いですよ~。
ビンタつきハグですよ~。

NoTitle 

不幸が不幸を呼ぶ展開になりそう……。

むむむ。

ポール・ブリッツさんへ 

まだ、光は見えてきませんよね。
相変わらず、ゆっくりな展開で申し訳ない。
でも、少しずつ少しずつ、進んでいってるんです。・・・不幸に?(汗

 

目隠しっていうのが、変なプレイを彷彿とさせますね(変態か)。

シロウさん、いったい何を……次回、倉田と対決か!

ヒロハルさんへ 

なぜか、目隠しっw
ちょっと変態チックですよね、ミィ。
かなり危ない人なのか、ミィ。
この行為が、ちょっとしたヒントでもあるんですが。

シロウさんと倉田、ついに対峙です。
いったい何の話になるんでしょうね^^


NoTitle 

由希の母を毛嫌いというより 憎んでいるに近いのかな、ミィは?
その感情を 由希を甚振る事で 憂さを晴らしている様な気がする
ほんと ミィって何者なの~!
”目隠し”が、ヒントなのね‥
‘‘σ( ̄^` ̄;) エットォ。o 0‥ダメだ、嫌な考えばかり浮かぶわぁ

また性懲りもなく うろついている倉田
由希と仲良しのシロウさんを見て 何を話すのかな?

シロウさん!
倉田がクダラナイ話ばかりするようだったら その鳩たちと一緒に埋めても構わないからね♪(笑)
OK ♪ ミ(_∩ё∩)彡 ポロロッポー♪...byebye☆

NoTitle 

limeさん、やっぱり文章がお上手ですね。
今さらですが(笑)

展開として重いとき、進まない時なのに、言葉に引っかかりがなくて情景や胸の内がすんなりと入ってきます。

後は鳩を何とかして下されば…
おぉ 読んでるだけで怖い怖い^^

 

由希の母の息子虐待二重人格説(まだいうか(笑))
  • #7066 ポール・ブリッツ 
  • URL 
  • 2012.08/27 15:36 
  •  ▲EntryTop 

けいったんさんへ 

> 由希の母を毛嫌いというより 憎んでいるに近いのかな、ミィは?
> その感情を 由希を甚振る事で 憂さを晴らしている様な気がする

うんうん、ここは、たぶんけいったんの予想通りだと思います。
ミィに心の内を効くシーンは無いのですが、ほぼ、そんなところでしょう。

> ほんと ミィって何者なの~!

ああ、うん、それが。(ぜったい怒られる・・)
でも、ミィの正体は、・・・ちょっと忘れててください・爆

> また性懲りもなく うろついている倉田
> 由希と仲良しのシロウさんを見て 何を話すのかな?

やっとオッサン同士、対面ですねえ。華のないシーンです><

はははは。倉田が埋められるーーーーーーwww (≧∇≦)
ぜったいくだらないから、倉田
ポロロッポ~ってwww

ごろちゃんさんへ 

う、うれしいです~。
そう言ってもらえると、エネルギー湧きます。
最近どうも不調でガス欠なものですから><

文章を、ただの説明で終わらせたくないなと、いつも思っています。
でも、考えすぎるとくどくなってしまうので、難しいです。
なかなか正解のない世界ですが、ごろちゃんさんに受け入れてもらえて、感無量です^^

あとは・・・鳩?
もう、ごろちゃんさんと鳩に、いったい何があったのか聞かせてもらうまでは、
シロウに埋めずにおいてもらいましょうか ( ̄ー ̄)ふふ。

ポール・ブリッツさんへ 

まだ言うか!

でも、ここまで読んで、それ以外だったら逆に陳腐かも・・・とか思えてきました^^;

あぁ! 

Sだ…

間違いなく貴女はSだ  ノ)゚Д゚(ヽ !!

埋めてくださいお願いしますmmmmmmmmm

NoTitle 

「殴ったね……(ry」
アムロのようにはならない、由希。

大人だ(笑)

ごろちゃんさんへ 

いやいや、それほどでもwww

え? 褒めてない? おかしいな。

仕方ない、シロウさんにお願いして、次回は鳩スペシャルに・・・・。

(あ、うそです! また来てください!!!)

晩冬さんへ 

しまった。 そのセリフがあったか!

いや、由希は初代ガンダムを知らないかも・・・16だし。

え? 晩冬さんだって若いのに。

NoTitle 

幼少期とはもう言えない年頃の由希が、ああいった状況(ミィとのアレ)になってしまうと、いったいどんな信条になるのか梶に想像しにくい。
もしかしたら、もっと小さな頃からそんな状況だったのかもしれない。
そうすると・・まあ、何かしらひねくれるものになるのかも・・

kaziさんへ 

ちょっと、異常ともいえる状況ですよね。
どうやらミィになにか脅されてるみたいですが、それでも逃げようと思えば、逃げられるのにね。

由希が高校へ行かなくなったのが1年前。そのころに何かあったのかもしれません・・・。

拍手鍵コメNさんへ 

スリリングな展開、楽しんでいただけて嬉しいです。
いや、ほんとうはまだまだ緩い段階なのです。
スリリングな展開は、もう少し後に本番を迎えます。
なゆさんにも、楽しんでいただけるといいな。
ミィの正体は、もう少しひっぱりますよ~^^

NoTitle 

倉田が由希と出会ってまだ一週間なんだ。
ミィとはどのくらい?

由希は絶対にお母さんに愛されていたと思う・・・けど・・・?
この家庭はホントよく分からん。

目隠しされている間、ただ時間だけが過ぎていくなんて、
由希の青春どうなるんすか? (青春ものにうるさい)

倉田の、おっさん会談の成功を祈る。。。

けいさんへ 

> 倉田が由希と出会ってまだ一週間なんだ。
> ミィとはどのくらい?

そこ、とても重要です^^
いつミィが由希の前に現れたのか。
でも、今までの中にそのヒントはほとんどないので、わからないですよね。
あるとき一気にわかります^^

> 由希は絶対にお母さんに愛されていたと思う・・・けど・・・?

ああ、そこもとても重要なところで・・・。

> この家庭はホントよく分からん。

すんまそん><

> 目隠しされている間、ただ時間だけが過ぎていくなんて、
> 由希の青春どうなるんすか? (青春ものにうるさい)

由希、辛いのになぜ逃げ出さないのでしょうかねえ。
まだ何か、望みを持ってるのか。
このままミィに食われて終わるのはかわいそうだ・・・(本当に思ってますってば)

> 倉田の、おっさん会談の成功を祈る。。。

意義のある対談になってほしいです。
倉田がくだらないこと言ったら、シロウさんに鳩と一緒に埋めてもらいます。
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