KEEP OUT 5  死の馬

KEEP OUT5 第13話 カケラ

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 彼女は町田が通っている大学病院の看護師であり、今日もじっとしていられず、休み時間を利用して訪ねてきたのだという。胸の名札に〈西山〉、とあった。

「もしかして、ひょっこり帰って来てるんじゃないかと思って。でも……やっぱり居ないね」
「いつもそうやって、気にかけてるんですか?」
「心配だしね。……ほんと、どこ行ったんやろ」
 一瞬目を潤ませた西山を、哀れむというのとは少し違う、胃が軋むような痛みを感じながら、春樹は見つめた。
「恋人……なんですか?」
 春樹がぽつりと訊くと、「そんなんじゃないけど」と、西山は小さく笑った。

 半年前町田が西山の病院に治療に通い始めてから顔見知りになり、家も近いことから、休日もたまに会っていたらしい。
「そういうの、恋人……でしょ?」
 春樹は頭の隅に咲子の事を思い浮かべ、重い気持ちになりながらもう一度訊くと、西山は首を横に振った。
「町田さん、たぶん恋人なんかもう作らない気だったんじゃないかな。はっきりそう言ったわけじゃないけど」
「……そうなんですか」
「病気のせいですっかり弱気になっちゃって。ちょっと気を付ければ普通の生活がちゃんと送れるんだって言ったのに。病院だってそう指導してる。それなのに、あの人は臆病でね」
 しんみりと言う西山。

 見ず知らずの相手に話す事だろうかと春樹は一瞬違和感を覚えたが、一方でこの看護師は今、不安な気持ちを言葉にして、ざわつく感情を整理したがっているのではないかとも思えた。

「難しい病気なんですか?」
「……まあね。発症しちゃったから。今のところ進行を止めるのが精一杯で」
春樹の中に、ふと一つの病名が浮かんだが、言わずにおいた。

「馬鹿な考えを起こしてなきゃいいけどって。そんなことばっかりこの数日、考えちゃってね。どこかでその覚悟をしてる自分に気付いて……。そしたらもう、なんだか無力な自分が悲しくて、悔しくて」
 ふいに西山は語尾を震わし、顔を向こうに向けた。

「あの……」
「ああ、……ごめんなさいね。こんな話して」
「変なこと訊きますが、町田さんが居なくなる前くらいに、お姉さんくらいの年齢の女の人が訪ねて来たこととかありませんか?」

 春樹は自分の口から飛び出した質問に自分で驚いた。
 咲子のことをボンヤリ考えていたからなのだろうか。咲子は、ここを訪ねたとは一言も言っていないのに。

「さあ。彼を訪ねて来る人なんて、めったにいないから。電気やガスの検針とか……そうね、保健の外交員っぽい人が、このあたりを何度か回っていたことはあったけど。派手なスーツ着て」
「何か、話をしましたか?」
「いいえ。いつも私を見たら怪訝そうに帰って行ったから。……でも、何で?」
「いえ。ごめんなさい。駅で少し話をしたときに、東京で知り合った女の人の話が出て……。もしかしたら、その女の人が訪ねてきて、一緒に出かけたりとか……。ないですよね、ごめんなさい」

 春樹は自分でも何を言ってるんだろうとシドロモドロになったが、驚いたことに西山は笑いながら返してくれた。
「ああ、向こうにそんな女の人、居たらしいわね」
「え……そうなんですか?」
「水商売の人で。好きになりそうだったから、慌てて逃げてきたって言ってた。失礼よね、私を目の前にしながら。でも、あの人はそんな人よ。馬鹿で不器用で優しすぎて、自分が想われてることに鈍感で。
 ねえ、春樹君……っていったっけ。君があの人から受けた親切は、大事に懐に取って置いたらいいよ。お金は返さなくていいから。あの人が戻ってきたら、春樹君のこと、ちゃんと伝えておいてあげる」

 柔らかで悲しい西山の微笑みは、その一瞬春樹に視界が揺らぐほどの激しい衝撃をもたらした。
 ゴウと耳の内側で風がうねり、砂が舞い上がり、鉛の雨が打ち付けた。
 それら全てが胃に流れ込んだような苦しさを覚え、吐き気が込み上げてくる。
 真っ逆様に落ちてゆく。目をふさいでも込み上げてくる映像。
 ゴウゴウと唸る水しぶき。怒りと嫉妬と嫌悪と絶望と。
 これは誰に対する感情なのか。
 町田に。……そして、今、目の前にいる、この優しい女にだ!

――――違う。違ったんだ。勘違いなんだ、咲子さん!

 春樹は心臓がバクバクと激しく打つのを悟られまいと必死に体に力を入れ、平静な声を出した。

「あの、この辺に渓谷があるって聞いたんですが、どんなところですか?」

「ああ、由布川ね。すごい絶景よ。少し前までは人が足を踏み入れなかった秘境なんだって。私は高いところ苦手だから、あまり行ったこと無いんだけど、町田さんはちょくちょく散歩がわりに行ってたわ。高いところが好きなんだって。あ、見たいなら車で送って行こうか? 病院に帰るついでだし」
「……見て帰ろうかな……。連れて行ってもらえますか?」
「うん。でも、大丈夫? なんだか顔色が悪いけど」
 西山はふっと看護師の視線になって、春樹を覗き込んできた。
「大丈夫です。ちょっと、……風邪気味なだけで」

 西山は少しも疑うことなく春樹を渓谷の入り口まで車で送り届けると、病院のある方向へ走り去って行った。

 複雑な気持ちで車に向かって深々と頭を下げ、振り返った春樹の前に立ちはだかったのは、黒い森と、その森を刃物で切り裂いたような遊歩道の入り口だった。

 平日だからなのか、もともと余り集客力のないスポットなのか、他に人の姿もなく、サワサワとただ、湿った風が吹き抜けていく。
 春樹は心を決め、ただ無心に遊歩道を突き進んだ。
 道しるべに従い、町田が好きだったという渓谷や絶景を横目で見ながら、ただひたすら歩く。

 緩い上り坂を道なりに歩くと、やがて古い吊り橋が現れた。
 足がすくむ。既視感が、たしかにそこにあった。ここへ来たことのない春樹の中に散らばる既視感。
 これは咲子のものだ。
 ところどころロープが低く弛(たゆ)む、人がふたり、やっと並んで歩けるくらいの朽ちかけた木の吊り橋に、春樹はゆっくり足を踏み出した。
一歩一歩慎重に進み、呼吸を整え、ただ、心の中で静かに語りかけた。

――――来たよ。咲子さん。ねえ、ここなんだよね。間違ってないよね。

 春樹の中にあるのは、あの日一瞬触れた咲子の記憶でも、映像でもない。
 春樹の中に、咲子が産み落としていった、咲子自身の“かけら”だった。
 吊り橋の中央で春樹は下を覗き込んだ。

『あの吊り橋の下の渓谷は険しすぎて、人が降りることは出来ないのよ。下は川なんだけど、岩が入り組んで底がどうなってるのか見えにくくてね。“奈落”って呼ばれてる』

 西山が車の中で説明してくれたとおり、その吊り橋の下では、刃物で切りつけられたような赤い岩肌がぱっくりと口を開けており、視界からは見えない亀裂の果てで、その傷口を洗い流すかのようにゴウゴウと唸る激流の音が響いてくる。
 その音を聞きながら、咲子が春樹の中に産み落として行った“かけら”がドクドクと鼓動を始め、うねって流れてゆく激流と同調して蠢いた。

 一瞬貧血のように目眩をおこしてその場にしゃがみ込んだ春樹だが、大きく呼吸をくり返し、体に力を入れ、再び立ち上がると今来た道を戻りはじめた。

 膝がガクガクと震え、何度も転びそうになりながら、それでも走った。

――――まだだ。まだ答えは出さないよ咲子さん。僕はやっと今、あなたに追いついただけなんだ。



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~ Comment ~

NoTitle 

おおぉぉ! 
しかし大変ですね、春樹くんは。
こんなに咲子さんに感応しちゃって…

こう繊細だと(潜在能力も含めて)、ある意味この探偵という仕事は、彼にとって辛すぎるのではないかなあ…。この感情的な辛さを乗りこえることができたら、かなりの適職になる可能性もあるような気もするけど…。

でも咲子さんにとっては春樹みたいな人に依頼したのはよかったのかもしれませんねぇ。


limeさん、今年は本当にありがとうございました ^^
よいお年をお迎えください~~

西幻響子さんへ 

西幻さん、この、一番微妙で分かりにくい13話に、コメ、ありがとうございます~ (ToT)e-267

いやあ、こんな抽象的な回で終わって申し訳ないです。
実にコメしにくいですよね。
ほとんど春樹の感覚だけですもん。
当の春樹も、自分の中で何が起こってるのか、掴み切れていないし^^;

・・・そういうことです。(どういうことだ)

そう、ここから、春樹の憔悴がはじまります。
この「5」の第2部・・・といったところでしょうか。

歯がゆいほど繊細な春樹。なんで探偵なんかやってんのよ、あんたは。って、感じです。
さあ、乗り越える事ができるのでしょうか・・・。
壊れてしまう前に。

>でも咲子さんにとっては春樹みたいな人に依頼したのはよかったのかもしれませんねぇ。

ええ、もう。本当にそうなんです。
この「5」を読み終わって、“良かった”と感じるのは、その事だけだったりするかも・・・。

このあとの静かな波乱に、またお付き合いくださいね^^

西幻さんも、よいお年を!
今年も本当にありがとうございました^^

NoTitle 

ちゅっ、抽象的だ……笑。

安易なバッドエンドじゃないってどういうことなんでしょうね。筆者さん。
まるで見えてこない。

今年一年ありがとうございました。
あと数時間ですね。
何回挨拶してるねんって感じですよね。笑。

送別会の後に、まだ数日出勤が残ってる気まずさと似てますよね。これ。
良いお年を。笑。

ヒロハルさんへ 

抽象的描写の小径へ、ようこそ・笑

実はここに、咲子の秘密が全て埋もれてるんですが、やっぱりわかりませんよねえ。

筆者「ほら、わからないってよ、春樹」
春樹「そんなこと言ったって・・。分からないように書いた癖にーー」

ははは。本当に何度挨拶をしてるんでしょうね、私ら。

あともう3時間少々です。最後に・・・。
良いお年を!

NoTitle 

これって、「共依存」といわないか……?

春樹くんは、超能力者というよりも、ただ単に、

「察しがよくて共依存しやすい」人間なんじゃないのか……?

そんなことを思った年末。

ポール・ブリッツさんへ 

> 春樹くんは、超能力者というよりも、ただ単に、
>
> 「察しがよくて共依存しやすい」人間なんじゃないのか……?

そうそう。春樹はそうやって、身を滅ぼしていくタイプです。
咲子みたいな女に出会ったらもう、・・・最期。
(探偵なんて、やってちゃダメなのです)

忙しい年末のこの時間に、コメ、ありがとうございます~。
(もうPCの前で年明けさ)

NoTitle 

春樹は何のかけらを掴んだのかな。
吊り橋の上で何を見て感じたのかな。
咲き子のどこの部分に追いついたのかな。

なんて穏やかに考えてる場合じゃないんです。
どーなってるんですかっ。

私も今大きな勘違いをしていると思う。
だから何も言わずに次回を待ちます。。。

けいさんへ 

わ~い、けいさん。
この、突っ込みにくい抽象ワールドへ、来てくださいましたか!

いえいえ、けいさんの質問ポイントは、すっごく的を得ています。
きっと誰もが「そう、そこが分からん」っていうところです。

ではでは、ぎりぎりまでお答えしましょう!

>春樹は何のかけらを掴んだのかな。

かけら、という表現をしましたが、これは「咲子の心」、と言い換えてもいいかも。
あの一瞬、触れることで、咲子は春樹の中に、咲子の感情を移入したんです。
記憶ではなく、心。
だから、春樹の恐怖、怒り、戸惑いは、咲子のものなんです。
(もちろん、咲子には、そんなつもりはなかったんですがねえ。春樹の能力のせいです)

>吊り橋の上で何を見て感じたのかな。

いい質問です^^(さっきから言ってる)
これも、実は咲子の記憶の一部、心を通して見た映像です。
春樹は、その橋の上で、咲子のやったことの疑似体験をしてしまったんです。
一瞬触ってしまった時には、形にならなかった咲子の記憶が、ここでじわ~~っと、春樹の中で炸裂したんです。
こわいですねえ~~。(それは、どんな体験? さて、それは・・・もう気付いてる人も、いるかも)

>咲き子のどこの部分に追いついたのかな。

これは、咲子の今現在の状態です。つまり、咲子が隠していたことの全てを、春樹は知ってしまったってことです。
(なぜ、春樹に近づいたか、以外のことですが)

春樹は、この時点で、咲子がやってしまったこと、そして恐れていることを、疑似体験してしまったんですね。
いうなれば、小さな咲子になっちゃた、状態でしょうか。(いやですね~)


・・・ってことです^^
この後を読んで戴ければ、まあ、じわじわ分かって行くことですが、ここまで分かっていた方が、あとあと、スムーズかなあ~~と思いまして^^

いやあ、もっと分かりやすく書けっちゅうにね^^; 

(以上。ここに書いたことは、ネタバレでは無いです。)

けいさん、ありがとう~~。

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