RIKU・5 天使の来ない夜

RIKU・5 第13話 イサクの犠牲

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秋山が指定した喫茶店は偶然にも、佐伯の画廊、『無門館』から二駅しか離れていない、静かな通りにあった。
レトロな雰囲気を纏いつつも、白く塗られたアーチ型の出窓がホッとする柔らかさを演出している。


一歩中へ足を踏み入れたリクを、エントランスの飾棚に並ぶ陶器の動物たちと、香ばしいコーヒーの香りが優しく迎えてくれた。
硝子越しに見渡すと、しっくい風の壁には、様々なタッチの油絵が飾られており、ギャラリー喫茶になっているのが分かった。
店内はわりと広く、十数人の客がゆったり配置された席に座っている。

「ミサキ様ですね? 奥の席で秋山様がお待ちです」
小柄な若いウエイトレスが、初対面にもかかわらず、エントランスに立っていたリクに声をかけ、ホールからは死角にあたる奥の席へ案内してくれた。

案内されたその席は、観葉植物とパーテーションで仕切られた3畳ほどのブースになっており、左壁面には100号以上はありそうな、迫力のある巨匠作品の複製画が飾られていた。

秋山は絵から離れた場所に立ち、陰鬱表情でその絵をじっと見ていたが、リクが来たのに気付くと途端に相好を崩し、嬉しそうに笑った。

「ミサキという名の息を呑むほど綺麗な青年がもうじき来るから、この席まで連れて来て欲しいって店員に頼んでおいたんだ。どう? 一発だろ」
「……」
リクが返答に困っていると、秋山は再び笑顔になり、リクの腕をそっと掴んで引き寄せた。

「ほら。正面から見てごらん。このレンブラントは圧巻だろう?」

その絵はおよそ、この落ち着いた雰囲気のギャラリー喫茶に似つかわしくない、ショッキングな宗教画だった。


山の牧場に作られた粗末な祭壇の上に、白い肌を露わにした半裸の少年が、髭をたくわえた老人に顔面を押さえつけられている。
老人の持つ小刀が、少年のむき出しの首の上に振り上げられた瞬間、突如現れた天使がその老人の凶行を止める。
老人の表情と、その手からポロリと離れ落下してゆく小刀とが劇的な一瞬を演出し、躍動感を残したまま二次元に封じ込められている。

「『イサクの犠牲』ですね」
リクがポツリと言った。
「そう。なかなか変わったチョイスだろ? ここのマスター、良い趣味してるよ。このブースに入った客は、必ずみんな最初はビックリするらしい。この大きさで、しかもこの絵だものね」
秋山は楽しそうに笑った。

リクは改めてその絵を見た。
複製画ではあるが、その絵からにじみ出る異質なエネルギーが胸を圧迫する。

『イサクの犠牲』は旧約聖書を出展とした物語だ。
砂漠の神は、アブラハムという男の信仰を試すために、彼の最愛の息子イサクをモリヤの丘の岩で焼いて、神に捧げよと告げた。
悩み抜いた末、神への忠誠を証明しようと決心したアブラハムは、イサクを丘へ連れてゆく。
今まさに、その命を絶とうと小刀を振り上げた瞬間、天使が現れ、その手を止めるのだ。
そして天使は『あなたが神を恐れる者であることが分かりました。息子はあなたに返します』と神の言葉を伝え、イサクは救われる。

この物語が、アブラハムの神への忠誠心を讃えるものだというのは知識の一つとして持ってはいたが、やはりその異国の神の地で生きていないリクには、たとえ苦悩の果ての決断でも、愛する子供に小刀を振り下ろそうとする男や、その忠誠を試そうとする神の存在を匂わせたこの絵を、どんなふうに受け止めていいのか、よく分からなかった。

「喫茶店に置くのは珍しい絵かもしれませんね」
リクがぽつりと本音を言うと、秋山はイタズラっぽく笑った。
「イサクの犠牲は、カラバッジョやサルムや、たくさんの画家が描いているが、俺はレンブラントが一番グッと来るね。肉感的で、非情で、狂気じみてる。そう思わない?」
「……絵画の解釈は自由ですから」

「アブラハムの手の表情がいいね。愛する息子のはずなのに、まるで屠殺する羊のような扱いだ。どの画家の絵もその残酷性は共通してるんだ。
この話にそこまでの残酷性は求められていないはずなのにね。巨匠たちのたくらみであり、見るモノはその手中にまんまとハマってしまう」

「そう言うのが好きなんですか?」
「そういうのが好きかって?」
秋山はリクの質問を繰り返した。その顔に、さっきまでの笑みはない。

「そうだね。この毒々しい圧迫感がなんともいいね。劇的で攻撃的で隠微だよ。神の子羊はいつも哀れで愛おしい。哀れであればある程、愛おしい。だけど、残念なことに出来すぎてる。
うまく行き過ぎてて、次第に高揚感は腹立たしさに変わって来る。ねえ、君もそう思わないか?」

「……さあ。それは画面の構成力が、ってことですか?」
「違うね。展開だよ」
「展開?」
「展開然(しか)り。危機一髪のところで駆けつける天使のタイミング然り」
「……」
「天使が来なかったらどうなってたと思う? アブラハムは大事に育てた愛おしい息子の喉を切り裂くんだ」

妙な方向に話が流れた気がして、リクはとなりに立つ男に視線を向けた。
低く落ち着いてはいるが、ゾッとするほど冷ややかな声に、次第にリク自身も落ち着かなくなる。

「そう言う展開は用意されていませんから。想像する意味もないでしょう?」
「天使は来ないんだ」
「……」

「俺の前に、天使は来なかった」

リクは再び秋山の表情をチラリと伺ったが、すぐに目をそらし、複製画に視線を戻した。

秋山の目の中に沸き立つような怒りを見たような気がして、長く見つめていることができなかった。



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NoTitle 

RIKUを読むときには、「いったいどいつが幽霊なのか」に気をつけていればいいのかもしれん、と思ったりもする今日この頃。(笑)

それにしても、アブラハムの前に天使が降りてくることを否定したくなる秋山氏の気持ちはわからんでもない。ご都合主義だもんな。

しかし、天使が降りてくることを否定する教義は、そりゃ文字通りのカルトだよ。オウム真理教やライフスペースみたいな(^^;)

宗教は、ご都合主義的で卑俗的だからこそ、信者であれ異教徒であれ、誰にもその「いっていることの正当性」が理解できるというもので、そこに自分の体験であれ「事実性」を持ち込んだら、他者とのコミュニケートが不能になってしまう。

宗教にとって、「事実がどうあったか」はどうでもいいことであります。真に問題とされるべきは、「その話を信じることでいかに人間がよりよく生きていけるか」であります。

宗教理解度からすると、その点で、この秋山氏、成長してないなあ。精神的成長がガキで止まってしまったんではないかなあ。カルト教祖にひっかかるパターンだよなあ、どう見ても……。

ポール・ブリッツさんへ 

ははは。そういえば今のところ、霊らしきものは出てきてなさそうですね。
もう、その線は捨てたのかもしれませんよ~~?作者が。
それとも、玉城のお守りが効いているのか・・・w

なるほど、深い。
宗教観から、秋山を検証してみたんですね。
ポールさんの見解に、にんまり。
>他者とのコミュニケートが不能
>精神的成長がガキで止まってしまった
だとしたら、この未熟で幼稚な秋山の、今後の行動、分かっちゃうかなあ・・・。
あ、カルト教団には入りませんがi-201

それから、誤字、ありがとうございました~~!
何で気付かないかなあ・汗
毎度毎度、ガッカリ。
知らせてくれて、感謝デス。・・・でも、そんなにツボでした? (^^ゞi-201

NoTitle 

まぁなんともすごいお話で(^^; (あ、イサクの犠牲、のことですよ)
神様ってのは、時々こうやって信仰の度合いを測るもんなんですかねぇ。
なんだかなぁ。

秋山のトラウマがだいぶわかってきましたね。
で、秋山はリクに何をしようと言うの・・・?
うぅぅぅぅ、次回を待つ!!

NoTitle 

あっ・・・また名前・・・AKISA、にしちゃった(^^;

akisa&秋沙さんへ 

ほら、アカウント3つも持つから、自分の名前、間違うでしょww

あちらの神話は時々(いや、結構)登場人物がすごく理解に苦しむ難題を押し付けられることが多いですよね。
神様も、疑心暗鬼なのかしら・・・。

秋山ですねえ。
本当に、なんでリクに近づくのか。
これはねえ・・・もしかしたら、秋山本人にしか、理解不能なのかも・・・。
(いま、恐ろしいこと言ったぞ、私)

筋道立てて、説明してくれる人物が現れるかどうか・・・。

NoTitle 

宗教 云々の定義は 文字で書けるほど 理解してないので パス!

でも ポールさんが仰ってた「その話しを信じることで いかに人間としてよりよく生きていけるかどうか」は、少し分かるものが あります。

「信じる者は 救われる」って事かな!?
この フレーズは 私が小学校低学年で 流行った言葉です。
友達の話しの真偽を問う 「うっそー!」や「マジで!」の言葉に 話しをした張本人が 朗々と のたまう訳です。(笑)
誰が 言い出しっぺか このフレーズの言葉の何所が面白かったのかは 今は 不明ですが、ほんの短い間 流行りましたね~...(: = =) トオイメ

天使は 救いに来なかった。と、言う秋山
彼は 救ってくれる者を 待ち望むほど 危機的状況であった?

でも イサクは天使に救われて 本当に 良かったのでしょうか?
命を奪おうとした その父と 以前と変わりなく 日々の生活を 送れたのでしょうか!
私には 絶対に 無理~~ヤダ(´;д;`)ヤダ...byebye☆

けいったんさんへ 

あ、知ってます、そのフレーズ。「信じる者は救われる」
昔流行りましたよねぇ。何きっかけだったかな?? CM?
うん、今思えば、何が面白かったのか・・・www

宗教うんぬんは、リクがその宗教画を見て一瞬思ったことなので、
実は本編と、そんなに関係はないんです^^

要は秋山が何を思ってたか、なんですが、・・・。
もしかしたら秋山にとってこの絵は、春画程の意味合いしかなかったのかもしれません。
彼の言う「天使」も、ただのこじつけ、言いがかり。

秋山の幼児性、不安定さが、またじわじわ染み出してくるかもしれません。
面倒くさい男です。

それにしても、「イサク」ですが、本当にとばっちりですね。
話の中で、イサクの心情を記した部分があるんですが、
彼は、愛する父親の為に、命を投げ出すつもりだったらしいです(T_T)
騙されたふりをして、大人しく付いて行ったらしく。

ああ、なんて健気な・・・・。こういう子に弱いんですよね。私 (*´ー`*)

おはようございます^^ 

少々物語とは離れたコメントになっちゃいますが・・・^^;

私、昔やたらと色んな宗教を齧った事があって、その中にキリスト教もあったんです。
聖書も今も持ってますし、一度全部読破した事もあります(笑)。

アブラハムとイサクのこのシーンは、なかなか衝撃的ですよね~。
アブラハムにとってイサクは、年取ってから正妻との間にやっと授かった、命よりも愛しい存在(妾との間には山ほど子供が出来たんですけどね・笑)。
いくら信仰心を確かめるからといって、これはちょっと・・・とまずどん引きしたシーンでもありましたよ~。
他にも、キリスト教の「矛盾点」には引く物がたくさんあるんですけどね^^;

そういう画を飾るカフェをわざわざ選ぶ、秋山の病的な部分。
まだ「あの事件」に取り憑かれ、未だにそこから離れられない秋山はリクに何を求めているんだろう・・・・。

蘭さんへ 

聖書を読破したんですか!それはすごい。
そして、いろんな宗教を齧ってみると言う姿勢、いですよね。
私は特に固執して信じる宗教がないので、いつか世界の宗教図というものを学んでみたいと思います。
なぜ人間は戦争を起こしてしまうほどに宗教に固執するのか、見えてくるかもしれませんからね。

アブラハムとイサクの物語をご存じだったとは。うれしいです。
そうですよね、読めば読むほど、この物語には首をかしげてしまいます。
イサクが後に生き帰るのだとアブラハムが信じていたとしても、割りきれませんよね。
やはり、そこが理解できないと言うことが、宗教観の違いなのでしょうか。

驚くことに、今現在もダーウィンの進化論を信じず、聖書の言うとおり、人間は神に作られたと信じる人々がイギリスに沢山いるんですね。
子供を学校にも行かさず、自分たちの知識だけを子供に伝えていく人たちが。
宗教とは、人間の生き方そのものを変えてしまうものなんですね。
おいそれと語ることは怖いな・・・と感じます。

しか~~し、それと秋山は何の関係もありません。(爆
お分かりのように、秋山は、深いことを語っているようで、まるで的外れな問いをリクに投げかけています。
つまりは・・・お子様なのです。

すべては、子供のまま大人になってしまった秋山が元凶・・・^^;
かわいそうなリク・・・。

NoTitle 

うーん…作者limeさまの意図的なものなのでしょうが…どうも秋山という人の言動はいちいち子供っぽい。

裏に隠れた逆選民思想のようなものが見え隠れして苛立ちます。

思春期…くらいまでは誰しもどこかで「自分は選ばれた者なんだ」という意識を持っていて、本当の意味で大人になるにつれ「あ、なんだ普通じゃんただのヒトなんじゃん俺って」って…そういう殻みたいのを抜けていくものだと思うのですが…。

秋山さんは今でいう「中二病」のままで止まってしまっていますね。

問題は、その歳まで、その幼児性を自分の中で飼っているということ…。

秋山さんの中の「選ばれし9歳の子供」がいつか暴れだすのではないかと、それが気がかりです。

しかしリクの周りの「年齢的には大人」は変な人ばっかり…orz

有村司さんへ 

ふほほ。 なんか、ちょっとイラッと来るでしょ?秋山。
いや、私的には、嫌いなキャラじゃなく、平等に扱っているつもりなんだけど、どんどん変な方向に行ってしまって。
つまりは・・・幼稚なんですね。(ネタバレか?)

そう、今で言う「中二病」。

その秋山が、いったい何をやろうとしてるのか、なぜリクに付きまとうのか。
お茶でも飲みながら、眺めててやってください^^

>しかしリクの周りの「年齢的には大人」は変な人ばっかり…orz

おお・・・そうか!(言われるまで気付かなかった!)
リクが、たいがい変な奴なので・・・(爆
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