RIKU・5 天使の来ない夜

RIKU・5 第9話 均衡

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「玉城は電話一本よこさないよね」
編集室のデスクで長谷川はポツリと言った。

「え? 玉城先輩が、何ですって?」
PC入力作業をしていた多恵がひょいと顔をのぞけた。

他の社員は早めの昼食に出払っていて、現在編集室には二人のほか誰も居ない。
誰の策略か、いつの間にか新人の多恵の席は、長谷川の斜め前に配置されていた。
けれど長谷川を煙たく思っていない多恵には、何の支障もなかった。

「電話くらいしてくればいいのにって、思ってさ」
「してくればいいのにって、長谷川さん。なに用で?」
「何用も、これ用も……。なんかあるだろ」
「でも、玉城先輩は今、グリッドに関わってないし、長谷川さんの部下でもないですよ?」
多恵はしれっと言った。
「そりゃ、そうだけどさ」
長谷川はつまらなさそうに言いつつ、次々号の『グリッド』の企画会議のための書類チェックを続けた。
そんな長谷川を、多恵は唇に指を当ててチラリと見る。

「先輩のことだから、ケイタイ水没させたか、無くしたかじゃないかな? それとも長谷川さんの携帯番号うっかり消しちゃったとか。
けっして長谷川さんの声が聞きたくないとか、本当は関わりたくないとか、そう言う事じゃないと思いますよ。気落ちしないでください」
「あんたの慰めは、傷の無いところに傷を作るよね」
「ええ? どこらへんが?」
多恵は無自覚らしく、心底驚いた様子で訊いてきた。

「もういいよ。もしあんたの所に玉城から電話が掛かってきたら、『ちんたら、社員の有給休暇に付き合ってないでさっさと帰ってこい』って言っておいて」
「了解です。長谷川さんも寂しいんですね、先輩がいないと」
「そんなんじゃないよ」
「またまた」
「均衡が崩れるんだ」
「ん?」
「あいつがいないと、何となくバランスが崩れるんだ」
「バランスですか?」
多恵がキョトンとした。

「とにかくそう伝えといてよね、多恵ちゃん」
長谷川はそれだけ言うと目を伏せ、企画書チェック作業に戻った。


         ◇


「……秋山さんの目の前で撃たれたんですか? その犯人は」
秋山の子供の頃の事件を一通り聞き終えたあと、リクはやっと一つだけ質問を投げた。

秋山が語った思い出の展開は、あまりにも衝撃的で、どう反応していいのか、正直なところ分からなかったのだ。

「ああ。仲間の二人が身代金受け取り場所に、車を回して来るはずだったからね。“あの人”は配置されてた現金入りバッグを掴むと、気を緩めて俺から離れた。そこには警官も誰も居ないはずだったんだ。
……けれど、急にパンっていう乾いた音がして、あの人は俺から2メートル先で小さな黒いかたまりになった。パッと視界に散った赤い雨が、俺の顔や手に降ってきた」

恐怖なのか、怒りなのか、恍惚なのか。
秋山の表情を読みとろうとしたリクは、けれどすぐにそれをあきらめ、静かに椅子の背に体を預けた。

「ごめんね、こんなことまで話つもりは無かったんだけど。君が静かに聞いてくれるから、つい話してしまったよ。もう25年も昔の話だ」
秋山は急に素にもどり、顔を赤らめると、照れ隠しのように再び手元のグリッドをめくり始めた。

「その時の強烈な感情は消えていないんでしょう? 秋山さん」
リクの言葉に秋山は笑った。
「もう25年前の話だって言っただろ?」
「その過去の事件で、あなたは結局、誰を恨んでいるの?」

秋山は口元にゴムのような笑みを貼り付かせたまま、リクの問いには答えずに無言でゆっくりグリッドを捲っていく。
30分ほどの昔話の間に、リクが煎れたコーヒーも、すっかり冷めてしまっていた。

「クリムト、カラバッジョ、ブーシェ、モロー、ブグロー……。最新号はエロス特集かい?」
今やっとページに焦点が合ったかのように、秋山が手に持ったグリッドを見つめて言った。
リクがその言葉に笑う。
「長谷川さんが聞いたら怒るな、きっと。そういうテーマで組んで無いってね」

「エロスは健全な美の現場には必ず存在する。そう長谷川編集長に言ってあげるといい。通俗な物とは違うよ。ほら今、俺の目の前にも一つある。璃久という名のエロスだ」
リクは笑うのをやめ、テーブル越しの秋山の目を見た。
秋山はリクに意味ありげな視線を絡めた後、再びそれを手元に落とした。

「エロスは宗教画の残酷で非道な描写の中にも存在する。私は特にカラバッジョが好きでね」
秋山は、開いたページを指の腹ですっと撫でた。
半裸の刺客に今まさに殺されようとしている聖マタイの姿を描いたカラバッジョの作品だ。

「僕は残酷で、非道ですか?」
リクが真顔でポツリというと、秋山は声を漏らして笑った。
「君はちがう。君は可憐なブグローのエロスだ」

秋山はブグローの『アモールとプシュケ(子供たち)』をトンと指で叩いて涼しい顔をした。
幼いキューピッドの少年、アモールが、少女プシュケの頬にキスをしている可愛らしい絵だ。

リクは、“分からない”というふうに小さく首を横に振った。



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~ Comment ~

NoTitle 

エロスと美とは別なもんだと思うけどなあ。

その根源があまりにも近いから混同されがちなだけで。

もちろん、タナトスと美とも別なもんだと思う。

美は美として独立したイデアだろう。

わたしプラトン主義者だったのか(笑)

ポール・ブリッツさんへ 

エロスと美は、違いますよね。
秋山がここでいうエロスは、美ではなくて、美に必ず付随する、隠微なものということで。
これは、彼なりの解釈です。
美を、そう言う風に見てしまう秋山の持論です。

次回、まだまだ、彼はいろんな事を語りますー!
何主義でもいいですが、怒らないでくださいね(^_^;)

NoTitle 

エロスも 美も 人それぞれですから  否定はしないけど 肯定も難しい
全く 同じでは 無いから だから それが 面白い。と、私は 思います。

リクに 自身の過去を とうとうと話す秋山の 真意が さっぱり 分かんない
知って欲しいだけか、共感して欲しいのか、それとも もっと他に あるのか...

長谷川じゃぁないけど 早く 玉ちゃんが 帰って来ないかなぁ~
リクの周り人とのバランス、リクの心のバランスが 危うすぎる!
_机_┗┐(・ω・)y━~ 玉、待ちby長谷川・・・...byebye☆

けいったんさんへ 

人の数ほど美とエロスの定義は存在するのかもしれませんね~。
私も、概念を押し付ける人は苦手なんですが、この秋山、ちょっとそんなところがありますね。
危険信号ですi-230i-201

>リクに 自身の過去を とうとうと話す秋山の 真意が さっぱり 分かんない
知って欲しいだけか、共感して欲しいのか、それとも もっと他に あるのか...

そう、まさにそこが、リクにとっても理解不能なところで。
相手が何を考えてるのか分からないのって、ちょっと怖いですよね。
秋山がなぜ、リクにこんな話をするのかが、このお話のポイントになりそう・・・。

でも、・・・すっごい、分かりにくいかも。
何しろ、・・・秋山ですから (^.^;)・・・もう、リク、困惑。

玉ちゃん~~。早く帰って来てよ~~~i-201

NoTitle 

私は直感で動くタイプなのですが、その私の勘が秋山は危険と訴えております。リクと同じで、どうも秋山が好きになれません。というか、とっても危険な感じがします。玉ちゃんのお守りが効いてくれるといいけどなあ。
なんか、すごくいやな感じがします。玉ちゃん、出張いつ終わるん??

綾瀬さんへ 

あ! 綾瀬さん、おかえりなさい~~^^i-189
そして、いらっしゃいませ。

秋山・・・どんな男なんでしょうね。
もう、自由に想像してください。
きっと、読み終わったあとでも、彼の印象は人それぞれなんだと思います。

とにかく、玉ちゃん、早く帰っておいで~~。(こればっかりi-201
(帰ってきても、役立たずの玉ちゃんなんだけど・汗)

こんばんは^^ 

アヤシイ~(><;
アヤシ過ぎるぞ、秋山v-388v-388

意味があるようで、全然厚みのない会話。
二人の心が咬み合ってない。
会話の中に、肉と血が感じられない不思議な窟みたいな物が見えてしまいます。

同じ「咬み合ってない」でも、長谷川さんと多恵の会話には、血も肉も感じられる。
それは多分、変な意味で二人が「病んでない」からですね~。

は~・・・・・v-394
玉城、ここまで長谷川さんに求められるなんて、滅多にない事だぞ~~e-330

蘭さんへ 

わからんちん男、ナンバーワンですからね、秋山^^;
掴み所のないリクと、病んじゃってる男秋山の、「噛み合わない世界」へようこそ・・・汗

ここだけの話、秋山は今、ちゃんと目的を遂行しています。
でも・・・普通の人にはわからないんです。さて、リクにわかるのか・・・。

とにかく、秋山の危ない言動は、さらに続きますよーー。
めくるめく、わからんちん男の世界を見ていってください^^;

長谷川の多恵ちゃんのからみ、けっこう私のストレス解消なんです。
この二人も、噛み合ってないと言えば、ぜんぜん噛み合ってないですね。

でも、さすが蘭さんの解釈は的を得ています。
なるほど、病んでないからこその、「健全な噛み合わなさ」なんですよね。
納得。

玉ちゃんは、長谷川にも求められてるっていうのに・・・・今頃バカンスです(ー"ー )

NoTitle 

秋山変…明らかに病んでる…。

ヒトが死ぬということに恍惚を憶えたのか…もしくは自分の中にも人を殺めたいという願望を飼ってしまったのか…。

秋山の時間は9歳の誘拐の日のまま止まっていますね。

有村司さんへ 

>秋山の時間は9歳の誘拐の日のまま止まっていますね。

おお、そうなんです。止まってしまってるんです。
それゆえの悲劇、なのかもしれません。

まだまだ、秋山は心の奥を見せません。
だから、リク、困ってしまいます^^;(長谷川さんも、悶々!)

本当は、すごく、すごく単純なことなんですが・・・。
腹の探り合いに、今しばらくお付き合いください。
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