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(雑記)平家物語『敦盛最期』の美学

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寒くなりましたねえ。
寒くなると、ATM画面が反応してくれないlimeです。
乾いちゃってるんですね、体が。

ここんとこ、休み返上、残業続きで疲れがとれずぼーっとしてて、
昨日はリンスで体を洗ってしまったlimeです。

そんなことはどうでもいいですよね。
久々の雑記です。

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歴史モノには疎い私ですが、あるきっかけでチラッと読んだ平家物語の一節、『敦盛最期』に
心を掴まれてしまいました。
(リンクさせて頂いてるキリヌケ成層圏様を覗いたわけですが。いつもお世話になっています)

有名な話なので、ご存知の方も多いですよね。
いまさら・・・ですが、読んでやってください。

「敦盛最期」は、源平合戦、一ノ谷の戦いのあるシーンを記した逸話です。
1184年、源義経率いる奇襲部隊に参加した熊谷次郎直実(くまがい じろう なおざね)が、平経盛の末子、平敦盛(たいらの あつもり)を打つんです。
敦盛(あつもり)若干16歳。

以下は、勝手に私が要訳したあらすじです。

・・・・・・・・・・

一ノ谷の戦いも、源氏優勢でほぼ決着を見た頃、源頼朝の家臣で弓の名手である熊谷次郎直実は、
逃げようとする平家の者を探して波打ち際に馬をよせた。

そこで身分の高そうな豪勢な鎧、兜の武者が一人、沖の船を目指して馬を進めているのを見つけ、呼び止める。
直実には格好の敵だ。

「そこにおられるのは、大将軍とお見受けいたす。敵に背中を見せるのは見苦しいですぞ。お戻りなされ」

その武者は、しばらくじっと直実を見つめていたが、招きに応じるようにゆっくりと海中から波打ち際に馬をよせてきた。
直実はすぐさま武者の方へ馬を進めて、波打ち際で馬を並べ、両者は組合になった。

けれどあまりにも武者の腕力は弱く、すぐに直実に組み伏せられてしまう。
(いったい何者だろう)と思いながら押さえつけ、首を落とそうと兜を脱がせてみて直実は驚いた。
「・・・子供ではないか」
歳の頃は16~17歳にしか見えない。
同じく初陣した、直実の息子、小二郎と同じくらいの年だ。
けれど、武骨な自分の息子とは比べ物にならないほど、美しい顔立ちの若武者だった。
とうてい武人とは思えない、息を呑むほどの容貌だ。

改めて直実は、自分が押さえつけている若武者を眺めた。
豪勢な甲冑に身をつつんだその姿は一段と素晴らしく、直実は握りしめた刀の事も忘れ、しばし動けずにいた。
いままでに覚えたことのない感情が湧きでて呑みこまれ、自分を叱責してみるが、やはり右手は動かない。

“この若く美しい若武者のどこに刀を刺せばよいのか・・・。ああ、助けてやりたい・・・。”
本気でそう思い始めた。

「貴方の名を教えてもらおう。微力ながらお助け致したい」
馬乗りの姿勢は崩さず、直実は言った。

「おぬしは?」
「武蔵国住人、熊谷次郎直実と申す」
「・・・そうか」
若武者は表情も姿勢も変えずに、一言だけそういった。
直実の名を知っていたのだろうか。

「だったら、おぬしの前で我が名を名乗るのはやめよう。おぬしにとって私は格好の敵だ。名乗らずとも、私の首を取って人に聞けば、必ず知ってる者がいるだろう」

ああ、なんということだ。
年端もいかぬ若者だというのに、この絶望的状況で、なんと堂々とした振る舞い。
私は息子が手傷を負うだけでやきもきするというのに、同じ年頃の若者を打とうとしている。
この若武者を逃がしたところで、勝つべき戦にまけるわけでもない。
直実の心はどうにもならぬ方向へ奔流し始めていた。
(助けてやれぬものか)

けれど無情にも、彼らの後ろには源氏の参謀、土肥、梶原の兵が迫っていた。
その陣の前で敵を逃がすことは不可能だった。

直実は覚悟を決めたように若武者に向き直った。
「お助けしたかった。けれど、味方の軍勢が迫っております。もう逃げられないでしょう。
他人の手にかかられるくらいなら、この直実の手におかけして、後世、ご供養させていただきたい」

言葉の最期は震えて消え、涙は止まることなく頬を伝い落ちた。

「もういいから。早く。・・早く首を取れ」

若武者の瞳も潤んだように思われた。
戦での敵味方とはいえ、あまりにも不憫。直実は涙に咽び、なにも考えられぬほどだったが、
味方の兵はすぐそこまで迫ってきている。

直実は泣きながら、その若武者の首を掻き切った。

自分の身を恨み、武士らしくも無く直実はさめざめと泣いた。
普段の彼なら一番に恥じる行為だったが、そんなことを考える余裕すらなかった。

しかし、いつまでも浜辺に突っ立って泣いているわけにもいかない。
直実はその首を包むために、若武者の鎧直垂を切り取った。
その時直実は、屍の腰に錦の袋に入れた笛が差されているのを見つける。

「ああ。そうだったのか。今朝明け方、城のなかで楽を奏でていらっしゃったのはあなたでしたか。
戦陣に笛を持ち込み、それを奏でるとは。・・・なんという風雅なお心の持ち主・・・」

首級と笛は義経のもとへ見参された。
陣屋でも、それを見て涙せぬものは、居なかったという。

平敦盛、享年16歳。

直実はこのことが大きく心を揺さぶり、のちに仏門に入った。
仏門に導くきっかけになったという敦盛の笛は、現在、神戸市にある須磨寺に「青葉の笛」として納められている。


・・・・・・・・・・・

勝手に要訳してしまいましたが。

壮絶で悲しい顛末ではありますが、何ともいえぬ、美学を感じるのです。

織田信長もこの「敦盛最期」に心酔していたのですね。
桶狭間の戦いの前に「敦盛」の能を舞ったのは有名な話です。


あのとき、若干16歳の敦盛が、直実の誘いに応じて引き返した場面。
そのまま少し行けば、味方の船に助けられたというのに。
それが彼の生き方だったんでしょう。
現代人の目でそれが正しいとか正しくないとか考えることは無意味です。
ただただ、そこに笛の音にも似た切ない美しさを感じる・・・それが正直な思いです。

そしてたぶん、戦国時代に生きる武士たちには、もっともっと強烈な意味を持っている逸話だったのは、間違いなさそうです。




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~ Comment ~

NoTitle 

なんとも、日本人の心に迫る、武士魂の美学ですね。

思いっきり現代人の私は、最期の時には絶対にじたばたすると思うのですが(^^;

limeさんはこういう、若く美しい男子が自分の過酷な運命をただただ受け入れて揺るがないお話に弱いんですね(^^)
ついつい、私は、その逆の、土壇場で出てくる人間の悪いほうの本性に興味がいってしまう人間であります(笑)

NoTitle 

平家物語、大好きです。

このシーンは有名ですよね。過去の色んな人達が、
このシーンに感銘を受け、涙してるんですが。。。。

歌舞伎では、直実は知盛を助ける為に自分の息子の
首を身代わりに……って非常に悲しいお話があるのです(;_;)

秋沙さんへ 

へへ。
秋沙さんにはすべて見抜かれてますね。
私のツボ。

そう、弱いんです。
現実逃避ですね・笑

土壇場で出てくる本性ですか!
これは・・・自分のは見たくないですね。
でも、あがいてあがいて、それでも生きる!っていうのは、それも美学ですよね。
「ゴールデンスランバー」ですよ。
見ました?

narinariさんへ 

narinariさんは、詳しいだろうな~と思いながら書いてました。

今更ながら・・・という感じでおはずかしいです。
本当に歴史物に疎くて。
だから逆に、こういう逸話は新鮮でビビッときます。


ええええ~~。歌舞伎では息子の首を?
だめですだめです。
そうなると、ただ悲惨なだけで、救いがありません。

私はこの平家物語のほうが、断然好きです。

NoTitle 

そうそう、歌舞伎にはそういうのがあるんです。
私もそのことを書きかけたんですが、「あれって直実のお話だったかな・・・?」と確信が持てなかったので消去してました。narinariさん素晴らしい。

あの歌舞伎を見たときに母と、「外国人のお客さんが多いけど、こういう『主君のためにわが子をも・・・』っていう精神、理解できるのかね?」と話してました。
なんとも、暗くて重くて、後味の悪いお話でした(^^;
大好きな孝夫ちゃん(あ、その時にはもう仁左衛門だったかな)の舞台だったんですけどねぇ・・・。


あ・・・ゴールデンスランバー、まだ見てない(泣)

秋沙さんへ 

秋沙さんもご存じの歌舞伎だったんですね?
そおかあああ。
やっぱりあの時代の悲劇は、日本人の心を揺さぶる題材としていろいろ脚色されたんでしょうね。

いやいや、でもやっぱり息子を差し出すのはダメですよ。それで涙をとっては。
(なぜダメだし・笑)
私はやっぱり、自分の息子を大事に思うが故、手の中の敦盛を不憫に思う直実のほうが、ぐっと来ます。

孝夫ちゃんは、誰の役だったんでしょう。

こんにちは^^ 

お久しぶりです、limeさんv-290
身体の弱い(?)私は、病に臥せっておりました・・・・(本当にようなうそのような・・・笑)v-406

この件、つい最近「ケンミンSHOW」で知りました。
この熊谷直実(地元の方は、ミドルネーム(笑)も次郎まで付けるのが常なのだそうですが)を偲んで、いまでも体育祭では「直実節」が踊られるとか(あれ?「熊谷節」だったか??)。
郷土の英雄なのだそうですね~~。

源平合戦の折には、沢山の哀しい逸話がいまでも語り継がれています。
私は九州の人間ですが、九州辺りには沢山の平家の落ち武者が辿り着いたらしいんですよ。
何せ、本州との境目にある壇ノ浦は、安徳天皇が身投げした場所としても有名ですし・・・。
有名な「安寿と厨子王」の話も、平家の落ち武者の家族のお話なんですよね・・・・・。

戦乱の世の中は、いつもこうやってつらいエピソードばかりです・・・v-406

蘭さんへ 

蘭さん、体調はどうですか?
きっとまだ本調子じゃないのでしょうね。
それなのに、遊びに来てくださって、うれしいです(T^T)

え?ケンミンSHOWで?見たかったですねえ。
直実、実際にはきっと大活躍して、英雄だったんでしょうが、
この敦盛との戦いがきっと本人に影を落としたんでしょうね。
この時代、現代人の私なんかには想像もつかない、武士、兵士たちの悲しい実話がたくさんあったはず。
平家物語、いつかじっくり読んでみたいです。

私の実家は下関なんです。
だから、壇ノ浦は馴染みの場所です。
平家の落ち武者は、九州方面に流れたんですね。
たしか、九州に生息するスマートな蛍は平家蛍、山口をはじめとする西日本に多く見られるごっつい蛍は源氏蛍ですね。
私の実家の周りにも、源氏蛍がたくさんいました。
なんだか、風流な名前をつけますよね。

悲しい、せつない、やるせない、壮絶な平家物語。
私がそんな話が好きなのも、日本人の血かなあ、と、ちょっと思いました。
(私のはちょっと度が過ぎますが)

NoTitle 

あの~、盛り上がっているところ申し訳ありませんが、

首実検で実子を身代わりにするのは、

「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」のシーンと混同されているのでは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E4%BC%9D%E6%8E%88%E6%89%8B%E7%BF%92%E9%91%91

それとも、わたしが知らないだけで、直実のほうでもそういう話があるのでしょうか? narinariさんにはできればタイトルをお教えいただければ幸いであります。

ポール・ブリッツさんへ 

どうでしょうね。
でも、知盛と直実は主従関係にあった時期があるということなので、
知盛を救うため・・・という設定で、そんな悲劇が書かれたのではないでしょうか。

しかし、ポールさんは歌舞伎にも詳しいのですか。
博識ですねー。

NoTitle 

もっとよく調べてみたら、ありましたありました。

http://www.town.ogano.lg.jp/menyu/kankou/kankou/o_kabuki/itinotani.html

narinariさん、ご無礼仕りました。わたしも記憶力が落ちたなあ。齢かなあ。

ポール・ブリッツさんへ 

ありましたか。あとで読んでみよう♪

そりゃ、忘れることもありますよ。
詰め込み過ぎですよ。

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