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最終話 あの月が満ちるまでに

ラビット 最終話 あの月が満ちるまでに(7)

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マユカが帰って行った後も、稲葉と宇佐美は微動だにせず、その場に立ち尽くしていた。

混乱する思考の一方で、何と声をかければいいのかを必死で摸索しながら、稲葉はただ宇佐美の青ざめた横顔を見つめた。

もちろん稲葉にも訊きたいことはたくさんある。
けれど、どこから切りこんでいいのか全く分からなかった。

マユカが言ったことが本当に真実だったとしたら、それは倫理面から言っても、軽はずみに会話のネタに出来るような代物ではなかった。


「ごめん、稲葉。……今日はもう帰ってくれないか」
窓の外を見ながらポツリと宇佐美が言った。

稲葉はその時やっと理解した。

今までの宇佐美のそれとない拒絶の意味を。
そうせざるを得ない理由が、確かに宇佐美にあったことを。

「話しては貰えないんですか?」

思わず、言葉が口を突いて出た。
ほんの一瞬の間に、自分は覚悟を決めたのだと、稲葉自身が気づいた瞬間でもあった。


「……え」

「宇佐美さんには申し訳ないけど、聞いてしまったから。マユカちゃんのこと」

「あれは……。あれは違うんだ。マユカの冗談で……」

「宇佐美さんは、そうやってやり過ごして気持ちが収まるんですか? 僕に隠すことで、楽になるんですか?」

「……」

宇佐美は、知らない人物を見るような視線を稲葉に向けて来た。

「僕にだって、何か考えさせてください」

「考える?」

「そう」

「何を?」

「あなたが少しでも楽になる方法を」

稲葉は場違いなほどニコッと笑って続けた。

「頼り無いように見えますが、実はこう見えても尊敬する探偵の一番弟子なんです、僕」

そう言ってまた笑う稲葉を、宇佐美は少しばかり驚いたような表情で見つめた。

「俺が楽になる方法なんて、考えたこともなかった」

「そうだろうと思った。だからあの人も心配してるんです」

「あの人?」

「いえ、いいんです。……話してもらえますか? 宇佐美さん」

宇佐美は一度ゆっくり窓の外に目を移し、小さく呼吸した後、また稲葉を見た。

「長い話になるよ」

「いいですよ」

稲葉がデスクチェアを引き寄せて座ると、宇佐美も自分の椅子に座った。
両肘をつき、ゆるく組んだ手を口元によせる。

そして記憶を辿るように一点を見つめたまま、宇佐美は静かに話し始めた。

「大学の医学部で俺たちのチームがやっていたのは、再生医療の研究だった。
ドナーからではなく、患者本人の未分化細胞を使って欠損した臓器を作り、移植できるようにならないかという、無謀とも思える目標を立ててね。
当時ではまだ画期的な方法が確立できてなくて、模索段階にしか過ぎなかったんだけど。

今でこそ人工多能性幹細胞、つまりiPS細胞の発見によって、その実現に大きな可能性を見出されているが、当時はまだ皮膚の再生すら容易ではなかったんだ。

けれどそのうち、海外の研究グループが、受精卵から『ヒトES細胞』の作成に成功してね。それにより理論上、すべての臓器の再生が夢ではなくなった。

あの時は展開のビジョンが見えて歓喜したんだけど、同時に、他の研究チームに先を越されるんじゃないかという焦りも強く感じてしまった。今までやって来たことへのプライドもあったし。
『ヒトES細胞』作成の技術を取り入れつつ、俺たちは更に熱をあげて独自の研究を展開していった。

だけど研究を重ねるうち、その『ヒトES細胞』の弱点が見えてきたんだ。移植した場合の拒絶反応だ。そして受精卵を使用するという倫理面での問題。

これらを回避する方法を模索し、それこそ昼夜を問わず俺たちは研究に時間を費やした。

バックボーンが大きくて、予算も降りたため、研究を続けるのには恵まれた環境だったよ。
週の半分は研究室に寝泊まりしてね。チームの誰もが真剣だった。

そしてついに、関西の大学のグループとの共同研究によって、その時点では最善と思える解決策を見つけることができた」

宇佐美はそこでほんの少し言葉を区切り、息を吐いた。

その当時の感慨が一瞬その目によぎったように、稲葉には感じられた。
医学の話をするときにふと浮かぶ、あの表情だ。

やはりこの人は、そっちの道を行くべき人だったんだと、改めて稲葉は思った。

「解決策って?」

「ヒトクローン胚からES細胞を作る方法なんだ。
患者自身の細胞と女性の未受精卵によって作られたクローン胚を、胚盤胞まで育ててそこからES細胞を作る。そのES細胞を分化させて臓器を作れば、それは患者自身の細胞であるわけだし、拒絶反応はまず起こらない。受精卵を使うという倫理面の問題もクリアできるんだ。
もちろん実用までにはさらなる研究の時間が必要だったんだけどね」

「そうなんですね。でも、解決策が見つかって良かったじゃないですか」

何とか話についていこうとして、稲葉はデスクに身を乗り出し、聞き入った。

「俺が指揮を取る形でレポートを元に実験を進めていったんだ。でも……。当然最初に気付かなければならなかった問題点に、最終段階まで俺は気付かなかった。いや、気づいていても軽視していたんだと思う」

「問題点?」

「ヒトクローン胚は、それを壊してES細胞を作り出すのであれば何の問題もないんだ。けれど胚をそのまま子宮に入れて着床させ育てると、クローンとして成長してしまう。成功する確率は高くはないが、決してゼロではないんだ。当たり前の事だったのに重視していなかった。

……俺たちの研究目的は再生医療なんだ。そんな発想は持ち合わせていなかった。そんなタブーを冒そうと思う人間が出てくるなんて、考えもしなかった」

宇佐美は辛そうに一つ息をした。

「誰かが……、それをやってしまったんですね」

僅かな沈黙にも耐えられなくなって、稲葉は小さな声で言ってみた。


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~ Comment ~

NoTitle 

なんかロビン・クック先生を読んでいるみたいな気分に(^^)

あの人の、当時最先端の医療情報を惜しげもなくつぎこんだ医療サスペンスは、もうホラーぎりぎりで怖かったなあ。

もちろん今となっては入手困難で(そればっか(笑))

ところで、家族がNHKハイビジョンで朝「ゲゲゲの女房」を見ているとき、前番組の「ドクターG」を見ることがあるのですが、あれ面白いですね(^^)

ポール・ブリッツさんへ 

ポールさんは本当にいろんな本を読まれてるんですね。
(そのリストを見てみたい)
私はあまり医療ミステリーは読んだことがないので、その本も知らないんですが。
ブラックジャックはしっかり読みました・笑

医療知識に詳しい人がミステリーを書いたら、かなり面白いものが出来ますよね。
医大を出て作家に・・・なんて道も、けっこういいんじゃないかなあ・・・なんて。
(学費の元がとれないか・・・・)

しかし医学も進歩しますからね。すぐその手法は古くなってしまいます。
宇佐美たちの危険をともなう研究も、今は安全なiPS細胞に取って代わられていますから。
しかし、その時代からクローンをつくる技術は確立されてて、
もはやSFの世界の話ではなくっていましたね。
倫理の問題で禁じられなければ、クローン人間は現在何人もいるはずですから。

「ドクターG」というのも見たことがありません。
つーか、げげげの女房も・・・。NHK受信料払ってるのに、とんとNHKにはごぶさたです。

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鍵コメKさんへ 

わあ~♪
全作品を読んでくださってたんですか?
もう、なんとも感激です。
ずいぶんと長い作品だったのに・・・。
なんのおかまいもできずに申し訳ないです。
私もKさんのお名前は16さんやMさんのところでお見かけしていました。
お近づきにさせていただいて、とても不思議な縁を感じます。
ラビットも白昼夢もあと少しですが、もしよろしかったらまたお立ち寄りください。
あ、もうコメントはお気になさらずに(*^_^*)
拍手に愛をかんじております♪

NoTitle 

ネットを冷やかしていたら。

http://book.2ch.net/books/kako/1057/10572/1057225065.html

旦那さんがパーキンソン病だったとは、そりゃー書くヒマなんてあるわけがないわな。

歴史ミステリは、出ていないのか、はたまた別ペンネームで書いているのか……英語圏のやつを調べたけどわからん。

うむむ。

ポール・ブリッツさんへ 

そうなんですか(T^T)
テリーさん、大変だったんですね・・・。
もっと別な環境だったら・・・と、不謹慎なことを考えてしまいました。

あれから「刑事コワルスキーの夏」を読みました。
(もう、全然執筆できないで、本ばかり読んでます)
とてもグイグイ引き込まれる、面白いサスペンスでした。
あきらかに私好みの本でしたが、でも、やっぱり「真夜中・・」ほどの衝撃ではないんです。
まあ、あんなに衝撃的なのばかりでは身がもちませんが・・・。
本当に、ジョニーやマックの心理描写がもう、頭の中グルグル。 (*´ο`*)=3

彼女の特徴でしょうか。「刑事・・・」はホモセクシャル系の犯罪ばかりですね。かなり濃厚な。
あの、ほのかな感覚が好きなんですが・・・・。

はあ。
気がつくと今、ネットで「金髪、青い目」の俳優を探していました。
自分が映画を撮るとしたら、誰を使うかなあ・・・とか。
変なやつです・笑

いい役者いますか?ポールさん。

さあ、これから「木曜日の子供」読みます。
止まりません。

ん~~ 

宇佐美の判断をどう思ったか・・・ですか?

え~っと・・・
いや、まだそれをここで語っちゃダメですね(^^;
ネタばれになっちゃう。

秋沙さんへ 

そっか。

まだもうちょっと先・・・ですね・笑
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