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最終話 あの月が満ちるまでに

ラビット 最終話 あの月が満ちるまでに(5)

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「なあ、お前にはわかるか? ポー」
次の朝。エレベーターの中で稲葉はポーを腕に乗せたままぼんやりつぶやいた。


昨日、マユカが逃がしてしまったポーを必死に探した稲葉だが、その日は結局見つけることができなかった。

けれど今朝、切ない気持ちで出勤してきた稲葉がオフィスビルのすぐ側の木を見上げると、灰色のオウムが首をかしげながら稲葉を見降ろしていた。

感激で泣きそうになりながら名を呼ぶと、ポーは『ホラネ、ホラネ』と言いながらすぐに稲葉の腕の中に舞い降りて来た。

一旦飛び出したはいいが、やはり鳥かご育ちのオウムだ。あの空間が一番落ち着くことが2回の逃亡で分かったのだろう。稲葉は妙に人間じみたその鳥をそっと腕に包み込み、大きな安堵と共にラビットオフィスへと向かったのだった。


とはいうものの、今朝の稲葉は、昨日のことが大きく引っかかっていて、せっかくのお手柄だというのに、なかなか気分が浮上しない。

『あの子は諒の十字架なの』
『この事務所閉めるって言ったら、あいつ怒るかな』
『ねえ、抱いてみる?』

昨日聞いたいろんな言葉が脳裏を巡る。

「あのマユカって子はどういう子なんだろうな」
訊いてみても灰色のオウムは首を傾げるばかりだ。

溜息混じりに笑ってエレベーターを降り、ラビット事務所に向かった稲葉だったが、その手前でつと立ち止まった。

「あれ?」

ドアが45度くらい、開いたままになっている。李々子や宇佐美なら、用心のため閉めるはずだ。

李々子と宇佐美以外の誰かが、ドアをストッパーで止めて侵入している。
このドアは旧式の物で、閉める時に音が激しい。

……もしかして、それを防止して?

稲葉は緊張しつつ、そっと音を立てないようにして入り込み、パーテーションの向こうを覗き込んだ。

向かいのビルのおかげで、東向きの窓から直接陽射しは入らないが、朝方のこの時間帯になると程よい角度で、柔らかな光が窓際を包む。

その光を背にして、宇佐美が自分の机に伏せるように眠っていた。

昨夜も遅くまで起きていたのだろうか。ほんの少しのぞくその表情は少し疲れているように感じられた。

そしてその宇佐美のすぐそばには、それを見つめている小ぶりな横顔があった。

マユカだ。

宇佐美の机の横に、給湯室に置いてあった小さな椅子を持ってきて座り、じっと静かに宇佐美を見つめている。いったいどれくらいの時間、彼女はそこでそうしていたのだろうか。

稲葉にはようやく合点がいった。
宇佐美を起こさぬように、そしてこの状況を作るため、少女はドアを閉めずに置いたのだろう。

宇佐美の寝顔を覗きこむその表情は、昨日の小悪魔的なものとは全く別人の、やわらかい、優しさに満ちたものだった。それはどこか母性すら感じさせるもので、稲葉はわずかに戸惑った。

口元にうっすらと微笑みを浮かべ、少女はただ静かに宇佐美を見つめている。


―――ああ、この子は宇佐美を愛している。どんな形であるにせよ、それだけは確実だ。

稲葉は柔らかな光の中、その大人びた横顔をただ見つめていた。

静止画のようなその情景から、稲葉は目を離すことができなかった。
やがて少女は右手を机に突き、そっと腰をうかせた。

そしてゆっくりと。本当にゆっくりとその顔を、こちら側に向けて伏せている宇佐美の顔に近づけたのだ。

鼻先が触れるくらいに。

ぱらりと亜麻色の髪が肩から滑り、その横顔を隠したが、少女が宇佐美の頬に口付けたのが稲葉には分かった。

キスをされたのは自分ではないのに、稲葉の胸が熱くざわめく。

稲葉の視線の中で、少女は再びゆっくり体を放し、左手でそっと眠っている宇佐美の髪をなでた。そこにあるのは先ほどよりも更に包み込むような、慈愛に満ちた空気だ。

不思議な光景だった。

見ているだけで胸が締め付けられるように切ない。とてつもなく神聖な。けれど、体の芯は次第に熱くなり、知らず知らずポーを抱く手が汗ばんで来る。

見てはならないものを見てしまった罪の意識が稲葉の心臓を捉え、そして鼓動を速める。それでも目を離せなかった。

髪をなでていたマユカの指が宇佐美の頬に滑ってゆく。

その感触に宇佐美はようやく眠りから覚め、そのままの姿勢でゆっくりと瞼をあけた。

「……マユカ?」

まだ少しぼんやりした、かすれた声で言う。

「おはよう、宇佐美。いつからここで寝てるの?」 

マユカはスイっと体を離し、稲葉がよく知っているあの、生意気そうな口調で続ける。
「もうすぐ始業時間でしょ? こんなとこで寝てたらあの女に襲われちゃうよ」

僅かに棘を含んだマユカの言葉には反応せず、宇佐美は一つ大きく伸びをした。

―――この後二人はどんな会話をするのだろう。

稲葉は緊張して聞き耳を立てた。無意識に体に力が入る。
それがいけなかったのだろうか。

『襲ワレチャウヨ、襲ワレチャウヨ!』

またもやこの有り得ないタイミングで稲葉の腕の中でポーが大音量で復唱した。
すっかり失念していた。小悪魔は稲葉の腕の中にも居たのだ。

当然ながら、目を見開いた二人の視線が稲葉に投げられる。

「あっ。……お、……おはようございます」

稲葉は自分の不運を呪った。

「稲葉」

けれど、宇佐美の視線は稲葉の腕の中のものをとらえ、すぐに笑顔に変わった。

「稲葉やったな! すごいよ! またオウム捕まえてくれたんだな。本当、ありがとう」

そしてその横で、もう一匹の小悪魔は腕組みし、生意気な溜め息をつく。

「なんだ、つくづくバカな鳥ね。もう捕まっちゃったの?」

マユカの言葉は想定内だったはずなのに、やはり稲葉の沸点は低かった。

「君はあれかい? ごめんなさいとかいう言葉を知らないのか? 今の今まで、ごめんなさいって言葉を誰からも習わなかったのか?」

「うわー、ヤダ。学校の先生みたいな事言ってる~。うざ~い」

「学校の先生なんだよ! 女子高生教えてんだ! 悪いか!」

「え、うそ。学校の先生がなんでいつもここに遊びにきてんの?」

「遊びにって……。宇佐美さん~! なんとか言ってくださいよ」

助けを求めるように宇佐美を見たが、宇佐美は少し困ったように笑っているだけだった。

「宇佐美に言ったって無駄よ。宇佐美はぜったい私を叱ったりしないもん」

マユカの言葉は勝ち誇ったようにも聞こえたが、同時に叫びのようにも聞こえた。

「一度だってないもん、私が何したって、どんなこと言ったって。何でも許してくれるし、なんだって言うことを聞いてくれる」

「……どうして?」

「どうしてだか聞きたい?」

挑戦的なマユカの言葉に、稲葉は困惑して宇佐美を見た。けれど宇佐美の目は、次第に興奮気味に声を尖らす少女に向けられたままだ。

「マユカ……」

「わかってる。帰って欲しいんでしょ?」

マユカは細い顎をわずかにクイッと上げた。

「ここは私なんかが来る場所じゃないのよね。私だって、それくらい分かってる。ママにもここには来るなって言われてるし、今日はもう帰る。でも……」

マユカはそこで言葉を止め、宇佐美に訴えかけるような強い視線を投げた。

「でも、一つだけ宇佐美に宿題を出しておく。明日は満月なの。一年で一番綺麗な満月。その夜に、私の一番望むモノを私にちょうだい」

「一番……マユカが望むもの?」

「そう。まだ宇佐美が一度も私にくれたことの無いものよ。なんでも買ってくれたけど、それだけは一度だってくれたことがないの。私が一番、……一番欲しかったモノなのに」

「……待って。それは」

「ヒントなんかあげない。ちゃんと自分で考えて。もし明日の夜までにそれをくれなかったら、宇佐美に罰を与える」

「罰?」

「私のこと、世間にバラす」

「な……」

宇佐美は絶句してマユカを見た。

「冗談だと思ってるでしょ? 本気なんだから。だってもう、これで最後だし。嘘だと思うんなら世間に公表する前に、試しに稲葉さんに話しちゃってもいいのよ」

「えっ!」

自分の存在を忘れかけていた稲葉は、急に話の中に放り込まれてドキリとし、2人の顔を交互に見た。

「そんな事して何になる」

「宇佐美が困る」

「マユカ」

「私は平気だもん」

「そんなに……俺が嫌い?」

宇佐美がこぼしたその言葉はあまりにも悲しげで、稲葉のみならず、マユカ自身もハッとしたように体を強張らせた。

「……言ったでしょ? 私がほしいモノをくれればいいのよ。明日の夜までに。そしたら私、もう何もしない」


満月。少女が心から望むモノ。もしかしたら、それはとても難しくて、手に入らない究極の贈り物。
そのことを分かっているのに。満月の夜までに持って来いと、彼女は言う。


――――かぐや姫だ。 

稲葉は思った。 


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~ Comment ~

NoTitle 

親が決めたいいなずけ?

……みたいな生易しい話じゃないよな、たぶん……。

ポール・ブリッツさんへ 

ポールさんなら、ガンガン連想すると思ったんですが・笑(ちょっとホッ)

今までの中にヒント的なものは、あまりないので卑怯ですよね。
とっても卑怯な感じの答えです。

・・・いいなずけって(●´艸`) ←今頃ツボ

NoTitle 

……弟、だったとしたら一日がっかりした気分で過ごす(笑)

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

鍵コメさん 

ははは。そんなかわいい声出されても・・・(*´∀`*)
(あ、声は聞こえないか)

ポール・ブリッツさんへ 

ちが~~~う!

弟ぢゃな~~~~い!  (ノ∇≦、)ノ彡☆バンバン

あ、でもストップストップ。
マジで当てられちゃいそうだからストップです~ヾ(`ε´)ノ

※でも弟からは遠い・笑

あかん 

危なかった。また殴りそうになりました・・・・・・。
はあ、はあ・・・・・・。
「そんなことじゃあ、立派な大人になれん!」と怒鳴りそうでした。

とてもミステリアスな展開になってきましたね。

マユカの望むものいったいなんなんでしょう。
宇佐美さんがバラされたら困るものって・・・・・・。

あっしはこの手の推理はどうも苦手でして・・・・・・。
皆目検討もつきやせん。

ヒロハルさんへ 

本当にヒロハルさんはマユカが苦手ですね(^o^)
この分じゃ、最終回でも嫌いなまんまかもしれません。まあ、・・それもいいかな?

マユカの望むもの。
これこそ、このお話の中心核です。
実はマユカの正体は、そんなに重要じゃないかもしれません。

そう。マユカの(かなり突飛な)正体は、重要じゃないかもしれません!(なぜ2回も・・・・笑)

ちょっと推理してみました 

もしかしてマユカちゃんって、過去からのタイムトラベラー。
この時点では十二歳だけど、実はもっと大人で、宇佐美さんと関わった女性の過去の姿。

などとSF的に推理してみましたが、ちがいますよねえ。
それだったら現実離れしすぎですね。

彼女の望むもの。満月……狼男。
アホな推理、というよりも妄想ばかりが浮かびますので、真相を楽しみに、また読ませていただきますね。

あかねさんへ 

> もしかしてマユカちゃんって、過去からのタイムトラベラー。

おもしろいです!初めての意見ですね。
そんな想像も楽しいです。でも・・・ファンタジーっぽくなっちゃうかな?

実際は、もう少しだけ、現実的かな?

>彼女の望むもの。満月……狼男。

きゃ~~、意味深~~www

彼女の望むもの。これがこのお話の真髄。宇佐美を「はっ」とさせます。
妄想、大歓迎です^^
いろんな妄想を広げていただけたら、うれしいです^^
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