「ラビット・ドットコム」
最終話 あの月が満ちるまでに

ラビット 最終話 あの月が満ちるまでに(4)

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「一昨日も会いに来たのに、どこ行ってたの? 宇佐美」

マユカは開口一番、宇佐美に不満を漏らした。その口調は外見に比べかなり幼く、そしてどこか甘えが見えた。

「一昨日?」
「あれ? このバイトさんに聞かなかった?」

マユカが稲葉を無遠慮に指さす。バイト呼ばわりを怒る余裕も無く、稲葉は硬直した。

「えっと。あれ? そんなこともあったっけな」
しどろもどろに返す稲葉だったが、マユカはそんな事にはお構いなしに、ヒラリと宇佐美に近寄った。

そして僅かに腰をかがめ、宇佐美の目を覗き込む。

「困った顔してる、宇佐美。私から会いに来ちゃだめだったの?」
「そんな事ないよ」
「じゃあもっと嬉しそうな顔しなさいよ」
「……マユカ」

宇佐美は辛そうにマユカを見つめる。少なくとも、稲葉にはそう見えた。今まで見た事の無い宇佐美だ。

マユカは相変わらず挑戦的な笑みを口元に浮かべている。宇佐美の表情に満悦しているのだろうか。

なんと形容していいのか分からない空気感だった。稲葉は固唾を飲み、ただ二人の表情を一歩離れて伺う事しかできなかった。

「会うのは3カ月ぶりだけど、私、また背が伸びたでしょ。ねぇ、大人っぽくなったと思わない?」

「うん、……そうだね。顔色もいいし、元気そうで良かった」

宇佐美はマユカの体をひと通り眺め、そして静かに言った。

「きれいになった?」
「ああ」
「抱いてみる?」
「……え」
「昔みたいに抱き上げてみてよ。小さなころ、やってくれたじゃない」

稲葉はじっとり汗をかきながらこの奇妙なやり取りを聞いていた。

目の前で交わされている会話は聞きようによっては微笑ましいが、なぜだろう、この場から消えてしまいたいほど殺伐とした波長で稲葉の肌をピリピリさせる。

「そんな事しなくても、マユカがちゃんと大人になって行ってるのはわかるよ。定期検診……、会うたびに綺麗なお嬢さんになってるって感じる」

宇佐美は一瞬言葉を濁したが、そのまま続けた。自分が聞いていたせいだろうかと、稲葉はわずかに身を固くした。

「やだな、なんか取って付けた言い方」
「困ったな、どう言えばいいのかな」

宇佐美は今度こそ正直に困惑の笑みをこぼしながら、PCの画面をスリープさせた。
その手で、プリンターのトレーに残っていたPDFファイルのコピーを取り、そっと2番目の引き出しの中に落とし込む。

何気ない、ほんの数秒の仕草だったはずだ。けれど少女の目はそれを許さなかった。

「それ。また調べもの?」

マユカがひと声あげて引き出しに飛びつき、入っていたプリントアウトの束をごっそりと掴みあげた。

「英語、ドイツ語、これはゲイリー博士の記事。やだな、ちっとも読めやしない」

「マユカ、返しなさい」

けれど宇佐美が手を伸ばした途端、マユカは表情を強張らせ、まるで憎らしいモノを掴んでしまったかのように、それらすべてをいきなり床に投げ捨てた。

バサリと音を立てて数十枚の用紙が床に散らばる。

「あ! おいっ! 何してんだよマユカちゃんっ!」
思わず稲葉が声を荒げた。

我慢にも限界がある。自分がこの場で部外者であることは承知していたが、あまりにも目に余った。

「稲葉、いいから」

けれどそれに対する宇佐美の言葉は予想外だった。これにも稲葉は納得いかない。

「いいからって。何で? いいわけないでしょう!」

「ほらね。宇佐美だっていいって言ってるでしょ?」

マユカが小悪魔のような笑みを向けてきた。

「だって……宇佐美さん!」

『ダッテ! ホラネ! ダッテ!』

ポーが緊張を感じ取ったのか、復唱しながら珍しくカゴの中で騒ぎ出した。
マユカは一瞬眉を顰め、その鳥かごに近づく。

「あ、こら! 何すんだよ!」

稲葉は咄嗟に叫んだが、けれど遅かった。

マユカが開けた小窓から、今まで緩慢だったポーが滑るように抜け出し、事務所の天井まで舞い上がった。

再び解放されて喜んでいるのか、それとも慌てているのか、ポーは二度三度ロッカーをかすめながら狭い事務所内を旋回した。

「わーーっ! こら、戻れポー! こっち来い!」

けれど稲葉の呼ぶ声もむなしく、ポーはほんの10センチばかり開けてあった窓の隙間を、まるで吸い込まれるようにすり抜け、外に飛び出してしまった。

こちらの気も知らず、13階の空中を灰色の呑気な鳥は、気持ちよさそうに飛び回る。ビルの間を大きく二回旋回し、そしてその影はやがて視界から消えて見えなくなった。


稲葉は愕然としてしばらくそれを見ていたが、急に沸き立ってきた怒りにまかせてマユカを振り返った。
「あんたなあ! ふざけるのもいいかげんにしろよ!」

けれど少女はひるむどころか好戦的な目で稲葉の視線を跳ね返す。

「気持ちよさそうに飛んでたじゃない。翼があるのにこんなカゴの中に一生閉じ込めてちゃ可哀想じゃん。解放してあげなきゃ」

「勝手なこと言うな! やっとの思いで捕獲したのに! 宇佐美さん、なんとか言ってくださいよ!」

けれど宇佐美はやはり辛そうな表情のまま、カラになった鳥かごを見つめて黙っている。いや、何か別のショックを受けて言葉を失っていると言うべきか。

「宇佐美さん!」

「ほら。宇佐美だって怒ってないでしょ? 私悪いことしてないもん。閉じこめて眺めてるなんて残酷だもの。ね。そうよね、宇佐美」

「マユカ!」

その場にいた誰もがビクリと肩を揺らした。

叫んだのは宇佐美でも、もちろん稲葉でもなかった。

いつの間に帰ってきていたのか。ドアの前に立っていたのは李々子だった。

表情は冷ややかだったが、叫んだ声とは裏腹に、とても落ち着いて見えた。
けれどその落ち着きが、稲葉には空恐ろしく、再びあの2日前の緊迫した空気がその場に張り巡らされた。

「李々子さん」
稲葉が上ずった声で呼んだが、李々子の視線は少女に向けられたままだ。

「マユカちゃん。悪いけど、仕事の邪魔になるからもう帰ってくれる? ここは子供の遊び場じゃないの。分かるでしょ?」

「……」

もの言いたげに李々子を睨んだマユカだったが、一旦その口をつぐみ、チラリと助言を求める様に、宇佐美を見た。けれど宇佐美は視線を受け止めるだけで、口を開かなかった。

「つまんないの」

小さな子供のようにつぶやくと、マユカは風を切るように李々子の横を通り抜けた。

「どうもお邪魔しました。でもまた遊びに来るからね。こんどは宇佐美ひとりの時に」

そう一言付け足し、やはり力任せにドアを閉め、少女は視界から消えた。
あとに残ったのはやけに重い、最悪な静寂だった。

「宇佐美さん……あの子はいったい……」

頭のどこかでは“訊いてはいけない”と分かっていたが、稲葉も我慢の限界だった。今回は稲葉自身も被害をこうむった。それくらい質問する権利はあるはずだ、と。

それでも宇佐美はどこか一点を見つめたまま、黙り込んでいる。
稲葉の質問が耳に届いていないようにも見えて、悲しい気持ちは一層増す。

ただ、稲葉の気持ちを察してくれている人物が一人いてくれたのが救いだった。

宇佐美と同じように辛そうな表情のまま、李々子はそっと稲葉の傍まで近づいた。
何か語ってくれるのかと身構えたが、けれどその視線と指は、立ち上がったままの、稲葉のPCのキーボードに伸びた。

手入れの行き届いた綺麗な指先が、デスクトップのメモ帳に、そっと文字を打ちこんで行く。

「あの子はね、諒の十字架なの」

浮かび上がった文字に稲葉は戸惑い、同時に息を飲んだ。


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~ Comment ~

NoTitle 

あの娘の正体については見当すらつきません。隠し子にしては歳が合わないし、妹にしては……。

不安をはらんでいて、どきどきしますな。

次の次っていうことは……来週中でしょうか?

とにかく楽しみであります。

宇佐美くんが事務所を畳んで逐電してしまうような存在でしょうけど、わたしは応援しているぞ!(なにをだ(笑))



明日あさってと土日ですが、limeさん読書タイムですか?(^^)

例の本に最初に出会ったのは20年近く前の、浪人時代でありました。

金もなにもなかったので、できることは古本屋で本を買って読むだけでありました。

たまたま見ていた3冊100円の棚に、あの本はありました。

噂は聞いていました。

まだ、BLなんて言葉すらない時代に、「男同士の愛情」を謳ったその内容に、読む前のわたしはドン引きしてました(笑。だってほら、浪人生って高校生に毛が生えたみたいなもんだし(^^;))

しかし、買った本は2冊、あと1冊買わなければ損してしまいます。

ミステリーのガイドブックにもあった作品だしと、半ばやけを起こして買いました。

しばらくして、読む本がなくなり、仕方ないな、と読み始めました。

ページをめくると、時間を忘れてしまいました(^^)

ラストシーンを読んだ後は放心状態でした。

それから本は高校のとき属していた、ミステリ研とSF研がいっしょになったような変な同好会に寄付してしまいましたが、やはり傑作だと思います。

ちなみにその同好会は数年前につぶれてしまいました。つぶれる前に本を回収しておくんだったぜ……珍しい本も混じっていたのに……(泣)。

ポールさん~♪ 

>ポール・ブリッツさん

もう、自分の小説の話よりも、「真夜中の相棒」の話をしたい!!(おいおい)

それほどハマっています。実はまだ、78ページしか読んでないんです。
時間がないのもありますが、『読み終わるのがもったいないんです!!』
かつて、こんな気持ちになったことはありません。

今、読みたくて禁断症状です。
でも、副業のイラストの仕事が入ってまいりまして、またもや時間が (T_T)

ああ、読みたい!!
もう、本当に死ぬんじゃないかってくらい、胸がキュンキュンするんですよ。
男のポールさんは、どうだったんでしょう。
どんなふうに感じるのか教えてください。

ああ、でも、そんな風にあの本にであったんですね、ポールさんは。
運命的な出会いって、そんなもんかもしれません。
出会えてよかった!

ええええ?ラストは放心状態??
そんな・・・・(∥ ̄■ ̄∥)
これ以上、死んでしまいますってば!!

NoTitle 

読んだのが20年くらい前なので、細かいことはほとんど忘れてしまいましたが、読んでいる感覚は覚えています。

キュンキュンとは違いますが、

とにかく切なかったですねえ。

3人が3人とも、「破滅」へ向かって突き進んでいくわけですから、

やめろなんでそんなことをする、と、はらはらしながら読んでいたはずです。

どう「破滅」するのかは口が裂けてもまだお教えするわけには行きませんが、

ラストシーンの、哀切さや悲惨さをどこか突き抜けたような情景には、たぶんlimeさんもちょっと放心してしまうと思います。

禁断症状に陥るくらい喜んでもらえて、ミステリファンとしてはこれ以上の愉悦はないであります(^^)

この人ほかにも「刑事コワルスキーの夏」などの作品が和訳されていますが、そちらでもキュンキュンできるかはよくわかりません……なにせ読んだことがないもんで……。

Re: NoTitle 

>ポール・ブリッツさんへ

禁断症状に勝てず、家事も仕事も放棄して、いま読んでいました。
まだ3人目の刑事さん?は、出てきてないんですが、
すでにもう、二人は破滅の方向に歩いています。

あ~~。続き読みたい。でも、切ない。そして、終わってほしくない。

そんなに切ないラストなんですね (T_T)
20年たってもポールさんが覚えているような。

この作品、読んでるうちに映像が浮かびます。
独特な言い回しが、逆に病みつきになります。
すごいなあ~。
ああ、こんなのが書いてみたい・・・。

とにかく、ラストを読むまで死ねない・・・って感じです(´Д`。)

危なかった 

危なかったです。
もうすぐでマユカを殴りそうになりました。

やっぱり子供は苦手です。苦笑。
自分自身が子供だから・・・・・・。

ほんと危ない・笑 

>ヒロハルさん

たしかにこの子はイライラしますね・笑
殴りたくなるのもおおいにわかります。

でも、この子の立場だったら、私も宇佐美にイジワル言っちゃうかな・・・。
どうやって折り合いをつけていいか、わからないんでしょうね。
次回もこの子、出てきます・・申し訳ないことに・笑
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