「ラビット・ドットコム」
第6話 ファースト・ミッション

ラビット 第6話 ファースト・ミッション(7)

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稲葉は再び13階に戻り、鍵を開けて事務所に入った。

ブラインドの無い大きな窓の外には、暮れ行く宵の空が広がっている。

稲葉はすぐに電気をつけ、そして手に握っている事務所の鍵を見つめた。
普段は宇佐美と李々子が所有し、今回だけ臨時に預けてもらった鍵だ。

李々子の携帯騒ぎでひとまずほったらかしになっていたが、改めて考えてみたら、あの付箋にメッセージを書いて貼った人物は、どうやってこの部屋に入ったのだろう。

稲葉は鍵を見つめながら、もう一度考えを巡らせた。

ピッキングでこじ開けて入ったのだとしたら、出て行ったあとで鍵が閉まっていたのは変だ。
かといって、わざわざ合鍵を作って、あのメモを書く意味も分からない。

そうだ、意味が分からない。宇佐美たちが捕まえた李々子のストーカーがヤクザがらみの悪い奴だったのなら、あのメモはいったい何を意味していたのだろう。

“赤いバッグの中”……を見ろって。それを伝えて何の得が? 

きっと宇佐美が捕まえた連中とは、別の人間なのだ。じゃあ、いったい誰。

宇佐美があの時、「何か違和感がある」といったのは、侵入者の残して行った何かに、無意識に気づいていたからだろうか。―――

稲葉はそこまで考えた後、急に落ち着かない気分になって、部屋中を隅々、見て回った。にわかに鼓動が騒ぐ。

―――まさか、さっき僕らがいた時、侵入者はまだこの事務所内に隠れていたって事、無いよな。

給湯スペース。トイレ。ロッカーの中。
けれど、どこにも異常はない。

まだゾワゾワする気持ちをなだめながら、とりあえず中央のソファーの前まで戻った稲葉だったが、正面の白い壁を何となく見つめた後、そこで固まった。

「あれ」

改めて、壁をじっと見る。

そこで感じた違和感の正体を突き止めるまで、時間はかからなかった。

―――でも、なんで? 


稲葉の疑問符をかき消すように、そのタイミングで勢いよくドアが開き、宇佐美と李々子が入って来た。

「稲葉、待っててくれたんだな。ありがとう」

「宇佐美さん!」
稲葉はソファの前に直立したまま、半泣きの声をあげる。

「どうしたの? シロちゃん。顔色が悪いけど」
李々子が宇佐美の後ろからひょいと顔を覗かせた。

稲葉はその青い顔をゆっくりと壁の方に首を向けて、ポツリとつぶやいた。

「位置が変わってるんです」

「え?」
李々子と宇佐美が同時に聞き返した。

稲葉は再びゆっくりとした動きで壁に掛かっている二つの額を指す。
「あの二つの絵、位置が逆になってるんです」

宇佐美と李々子は壁に目を向けた。

壁には対になっている2枚の黒い馬の絵があり、普段は見つめ合うように内側に向けて掛けてあった。

けれど今3人が見つめているそれは、仲たがいをしたように外側を向いている。位置が逆になっているのだ。

「稲葉、これ、いつから逆になってるか分かる?」宇佐美が問う。

「昼間、みんなで入ってきた時、宇佐美さんが違和感を感じるって言ったでしょ? その時何か変わってないかと部屋を見回したんですが、この馬たちはちゃんと向かいあってました」

「へえ、ちゃんとその辺まで記憶してるってすごいよ稲葉」
「ありがとうございます……、って、いや、今はそれより鳥肌がおさまらなくてヤバいんですけど僕。だって、僕らが居ない間にまた誰かが入ってきて、これに触って行ったんでしょ?」

「さあ、そうとも言えない。俺たちが話し込んでいたあの時も、その“誰か”はずっと潜んでたのかもしれない」

「うわあ……、それ言わないでください。そうだったら嫌だなって、ここに戻った時チラッと想像しちゃって生きた心地しなかったんですから!」

稲葉は頭を抱えてぶんぶん首を振った。怖い話が苦手な稲葉にとって、究極のホラーだ。

「まだ潜んでる可能性は?」宇佐美が歩き回りながら訊いた。

「それは無いです。死ぬ気で隅々まで探しました」稲葉はきっぱり答える。

「鍵はどうだった?」
「締まってました」
「何か盗られたものや、荒らされた形跡は?」
「全部チェックしてないからわかりません。でも見た感じ、他に変った点は無いように思えました。あ……」

稲葉は思い出したように訊いた。
「宇佐美さんたちが捕まえた人たちとは関係ないんですよね、やっぱり」

「うん、そうなの。あの男の子は全くこの事務所の事は知らないって言ってた」

答えたのは先ほどからじっと馬の絵を見つめていた李々子だった。

「あのメモ書きも、この馬の絵のいたずらも。何かきっと別の意味があるのね。いったいなんだろう。そんなに悪意は感じないんだけど」

「でも、勝手に侵入してこんないたずらしかけるって、普通の感覚じゃないですよ。それもこんな真昼間の営業日に。僕らとバッタリ鉢合わせたらどうするつもりだったんでしょうね」

「問題はそこだな。侵入者は、何で俺たちが居ない時間が分かったのか……」

宇佐美は視線を斜め下に落とし、考え込むように言った。

「私たちの行動を見られてるみたいで気味が悪いわね」

「そうなんですよね。関係ないかもしれないけど、僕も近頃いろんなとこで視線を感じるんですよ」

「あらやだシロちゃんこそストーカーに狙われてるんじゃない? 顔だけは男前だから気を付けなきゃ」

「李々子さん、今ちょっとチクンと来ました」
稲葉が胸を押さえる。

「やっぱりこの窓、ブラインドつけたほうが良くない? 李々子。ほら、以前にも覗き趣味の変わり者カップルが居たろ?」

「あ、居たよね、あの愉快な2人。最近はブラインド締まってて大人しいけど、もう覗きやめちゃったのかしら。ちょっと残念」

「覗かれたいの? 李々子」宇佐美が苦笑する。

「あ……。そういえば!」

そこで思い出したように稲葉が声をあげた。

「あの二人、時々鳳凰に来てるんですって。さっきナオちゃんが言ってました。最初に来た時、ラビット事務所の人、来るの?とか、ナオちゃんに聞いたらしいですよ。バッタリ会わなくて良かったなあ、僕」

「へえ、そんなに興味あるなら遊びに来ればいいのに。シロちゃんと仲良くしたいのよきっと」

「稲葉を遠くから観察するのが楽しいんじゃないか?」

「なんで僕狙いで決まりなんですか。李々子さんも宇佐美さんも、やめてくださいよ。昼間も鳳凰で妙な粘っこい視線感じて気味が悪かったし、今日は精神的に弱ってんですから」

「昼間も?」

「まあ、きっと気のせいだと思うんですが。今日はあの二人、来てないみたいでしたし。
あ……でもね、あの二人、宣伝効果にはなってるかも。鳳凰に来る他の客にも、ここに探偵事務所があることを話題に出して、盛り上がってたみたいだから。ここってほとんど広告出してないでしょ? 口コミって絶対に有効だと思うんですよ」

「他の客と?……でもふつう、探偵事務所ごときで話が盛り上がるかな」

宇佐美がいぶかしげな顔で、ポソリとつぶやき、李々子に視線を送った。

李々子はその視線を受け取り、壁の絵を再びじっと見つめる。

「え? どうかしたんですか?」
その微妙な空気に気づいた稲葉の横に、李々子はすっと近寄り、小声で訊いた。

「ねえ、シロちゃん。変なこと訊くようだけどその粘っこい視線のほかに、何か最近身の危険を感じるようなこと無かった?」

「身の危険?」

とっさにあの気持ちの悪い感触が蘇り、稲葉はゾワリとした。

「そ……そういえば」

「そういえば?」李々子が真剣な目で稲葉を見る。

「さっき、鳳凰でおしりを触られたような気がしたんです。むにゅって。咄嗟に振り向けなくて、正体は見れなかったんだけど、確かに人の手のような感触だったんです。ずっと気のせいだよなって自分に言い聞かせてたんだけど……」

「むにゅって?」

「むにゅって」

李々子は眉根を寄せ、険しい顔のまま宇佐美を見た。
「諒。嫌な予感しかしないんだけど」

宇佐美は小さく溜息をつく。
「うん、俺もその予感、正しいと思う」

けれどそう言った宇佐美の表情はどことなく嬉しそうだ。

「え? 何? 何か分かったんですか?」

「なあ稲葉。あの向かいのビルのお騒がせカップルと、にわかに意気投合して仲良くなった客が居るって言ったよな」

「ええ、ナオちゃんがそう言ってましたけど。……ねえ、それが何か関係あるんですか?」

「うん、たぶんね。……李々子、大きな白い紙持ってきて」

「は~い、了解」

李々子は古いカレンダーを出して来て1枚をちぎり、宇佐美の机の上に広げた。

宇佐美は引き出しから特太マーカーを取り出し、キャップを外す。

―――あれ? この展開、以前見たことあるぞ? デジャヴ? いやこれは……。

稲葉は唖然として宇佐美の手元を見つめた。

宇佐美はサラサラとその特太マーカーで、紙の上に文字を書いて行く。

そして書きあがった紙を、以前やったのと同じように、外側から見えるようにガラス窓に両手でバンと貼り付けた。

紙に書かれた文字は、『まぎらわしいことしないで、出てきてくださいよ』。 

「え? え? どういう事です?」稲葉は二人を交互に見つめた。

けれど二人答えるよりも先に電話のベルが鳴る。あの時と同じだ。

今回は宇佐美ではなく、李々子が受話器を取った。

細い指先で苛立ったようにスピーカーホンのボタンを押した後、李々子は電話の相手が話しかけてくるよりも先に、大声で怒鳴った。

「またこんなイタズラして! いいかげんにしてよね、パパ!」

「パッ……、パパ?」思わず声を漏らす稲葉。

宇佐美が苦笑しながら稲葉に双眼鏡を手渡し、向かいのビルを指さした。
さっきまで閉まっていた、あのカップルの部屋のブラインドが開いている。

慌てて双眼鏡を覗くと、窓際で携帯電話を持った白髪頭の男がにこやかにピースサインをしている。

「あーーっ! さっき鳳凰にいた人だ!」

彫りの深い初老の紳士。昔見た映画、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクに似ている。いや、人を食ったような笑顔は、アインシュタインの写真をも彷彿させる。

電話の向こうからは楽しそうに笑いを堪えた声が聞こえてきた。

『やあ李々子久しぶり。相変わらず声がでかいね。耳がキンキンするよ。宇佐美くんも元気だった? 会いたかったよ。何年ぶりかなあ。李々子にひどい目に遭わされてないかい?』

穏やかだが、ユーモアを感じさせる話し方だ。
こちらがスピーカーホンにしているのが分かるのか、宇佐美に話しかける声は、さらに優しげだった。

いや、“色気を含んだ甘い声”と言った方がいいだろうか。

「余計なことはいいのよパパ! いったい何のつもり? ずーーっと音信不通だったくせにいきなりこんな紛らわしいことして。また何かやらかして帰って来たんでしょ。お金なら無いわよ」

『ないの?』

「ないわよ! 何? 男にふられたの? それとも騙されて持ち逃げされたの?」

『な、なんでわかる! さすが私の娘』

「やめてよ気持ち悪い。見当ぐらいつくわよ。大体いつだって男見る目がないんだからパパは」

稲葉は二人の会話を聞きながら宇佐美の腕をぐっと掴み、説明を求めてすがるような目で見つめた。

宇佐美は柔らかく笑って稲葉に顔を寄せると、その耳元にささやいた。

「ゲイなんだ」

稲葉は口を開け、少しの間だけ固まった。


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~ Comment ~

NoTitle 

パパ・・・・・・ゲイって・・・・・・orz。笑。

そうか~。
第一話に犯人につながるヒントがあったのですね。

Re: NoTitle 

>ヒロハルさん

そうなんです。第一話に・・・。
パパさん、早く出してあげたかった。
登場したとたん最終回ですが・笑

NoTitle 

なんと不幸な男だ稲葉くん……。

世の中の小さな不幸を一身に背負っているのではないかしら(笑)。

書きたかった「その先」を期待します。

Re: NoTitle 

>ポール・ブリッツさん

稲葉君、気の毒です。(笑)
でも、「小さな」不幸ってとこがミソですね。
小さな不幸で埋もれていくんです。ww

書きたかったその先は、さらにその先に続く・・と言ったら怒られるでしょうか(^o^;…
でも、この6話のタイトルの意味は分かるはずです。

NoTitle 

タイトルの意味……。

もしかして稲葉君がゲイのパパさんとファーストミッションを……(コラ)

Re: NoTitle 

>ポール・ブリッツさん

あああ~。それは予想外の展開~~~って、コラ・笑


NoTitle 

爺にケツを・・・・
許せん!
白ちゃんは脇が甘すぎなんだよ。
まったく、初デートに忘れ物だらけだし・・・
振られるし。
頭のネジがおかしくなって爺に走りませんように・・・ナーームv-421

大分いい感じになりました。
へへ

ぴゆうさんへ 

まったくねえ、シロちゃんは脇が甘い。
気ばっかり焦って空回りするし^^
まあ、今日はお馬さんの絵に気づいてくれたけど。

さて、このエロジジ・・・あ、いや、パパさん。
レギュラー入りではないんだけど、重要な人です^^
さあ、シロちゃんが食べられませんように祈ってください。

お、いい感じになりましたか。e-267
でも、無理は禁物ですよ~~。
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