「ラビット・ドットコム」
第6話 ファースト・ミッション

ラビット 第6話 ファースト・ミッション(1)

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時刻は午後4時。

学校が午後から休校になり、いつもより早くラビットに出社してきた稲葉だったが、事務所に居たのは宇佐美ひとりだった。

接客用のテーブルの上には古い資料やファイルが、今にも崩れそうな絶妙なバランスで積まれている。

こういう乱雑な状態で放置してしまうのは、ここに居ないあの人しかいないと、稲葉はにんまり笑った。

「李々子さん、大掃除でも始めたんですか?」

PCから顔を上げた宇佐美は、稲葉を見て困ったように眉尻を下げる。

「過去の資料を探してただけだと思うんだけど、大惨事になったみたいだな。ごめん、戻ってきたらすぐに片付けさせるよ」

「とんでもない、ぼくがやりますよ。この辺の古い資料も全部データに落としたら、李々子さんも探す手間が省けるだろうし。あとでそっちの作業も進めますね」

笑顔で返した稲葉だが、「ごめん」と言われた事には、ほんの少し寂しいものを感じた。

まだどこか宇佐美は稲葉に他人行儀な部分がある。押しかけ従業員である稲葉に、ちゃんと時給まで払ってくれている寛大なボスだというのに、なぜいつもそこまで気を使ってくれるのか。

もしかしたら自分は、“李々子さんが気まぐれに雇ってしまったお荷物の従業員”でしかないのかもしれない。そんな想いが時々よぎり、辛くなる。

―――ちゃんとこのラビット事務所の一員となるためには、もっと頼りになる存在にならなければ。

稲葉は自分を奮い立たせるべく深呼吸し、ガサッと目の前のファイルを掴みあげる。

あまりに勢いよく持ち上げ過ぎたせいで一冊のファイルがめくれ、その間から一枚の名刺がハラリと足元に落ちてきた。

「ん?」

その名刺に書かれている名前を見て稲葉は首をかしげた。

『卯月探偵事務所所長 卯月宗一郎』

住所は、このラビットのオフィスだ。

―――卯月? 所長? ……なんで李々子さんと同じ苗字?

稲葉は名刺を拾い宇佐美を振り返ったが、それと同時にカチャリとドアが開き、李々子が入ってきた。

ふんわり透け感のある胸元の大きく開いたブラウスは、いかにも李々子らしくて色っぽかったが、けれどなぜかいつもと様子が違う。

稲葉と目が合ったのに、柔らかく笑っただけだ。
“あっ、シロちゃん今日早いじゃない~”という声を予想していた稲葉には、少しばかり違和感だった。

けれど宇佐美はPCから顔を上げないまま、素っ気ない口調で注意を促す。

「また寄り道して来たろ、李々子。今日はまだ忙しくないからいいけど、銀行行くって出たきり3時間帰ってこないのはどうかと思うよ」


一瞬の間があった。

あれ? と稲葉は奇妙に感じたが、あくまでほんの一瞬であり、その後はいつもの李々子だった。

にんまり笑い、宇佐美のデスクに近づくと、自分の肩をピタッと宇佐美の肩にくっつける。李々子が稲葉によくやる“おふざけ”だ。

「なんだよ」
「またひねくれた言い方しちゃってぇ。私がいないと寂しいって素直に言ったらどう?」
「そんなこと言ってんじゃない」
「あら、そう聞こえたけど」
「じゃあいっぺんメンテナンス受けてきた方がいい」
「諒にメンテナンスしてもらおうかなあ。2泊3日くらいで」

宇佐美はひとつ小さく息を吐くと、李々子から体を交わすようにして椅子から立ち上がった。

「もういいよ。出かけて来る。李々子は稲葉と一緒にその資料片付けておいて」
「あ、待って!」

李々子が急に慌てたように手を伸ばし、宇佐美のシャツの袖を軽く掴んだ。

「今度は何。最近の李々子は仕事中にふざけ過ぎる。稲葉が来て浮ついてるのかもしれないがちゃんと……」
「今夜諒の部屋に泊まってもいい?」

稲葉は抱えていたファイルを思わずバサバサと床に落とし、バカみたいに大きな音を立てた。

「何考えてんだお前」

宇佐美はいつになく不機嫌そうな顔を真っ直ぐ李々子に向けた。

稲葉は慌ててファイルを拾いながら息を飲む。いきなりの気まずい空気だ。

「別に諒を取って食べようって訳じゃないわよ」
「当たり前だろ」
「泊めてくれるだけでいいの」
「部屋をゴミ屋敷にして自分のマンション追い出されたのか?」
「失礼ね、そこまでひどくないわよ」
「じゃあなんで」

李々子はそこでほんの少し声のトーンを下げた。

「近頃……ちょっと怖いのよ。一人は」

「怖い?」

「そう。どうもストーカーに後つけられてる気がして」

「ストーカー……」

宇佐美と稲葉は一瞬顔を見合わせた。

「そう、ストーカー」

「ストーカーってあのストーカー?」
稲葉が思わず訊き返す。

「あのストーカーもこのストーカーもないでしょ。どんだけパターンがあるのよ」

宇佐美は李々子の顔をじっと見つめていたが、やがてニヤリと笑みを浮かべた。

「きっと勘違いだよ李々子。大丈夫、俺が保証するから。李々子をストーカーするようなそんな暇な奴はいないって」

「失礼ね~。そんな事言ってたら後で後悔するわよ。こんな魅力的な女性を一人にしといたこと」

李々子は子供のように唇を尖らせて宇佐美を睨んだが、宇佐美は軽く受け流し、「報告書提出して来る」と、書類をまとめてサッサと出ていってしまった。

「諒のばーか!」

宇佐美が出ていったドアを睨みつける。
けれど稲葉の視線に気付いたのか、振り返っていつものように悪戯っぽく笑った。

「可愛くないわよね、あの人。すぐ怒るし冗談通じないし。だいたいレディに対して優しさが無いわよ」

やっぱりこの人は猫の目のようにくるくる表情が変わる。かわいいな、と稲葉はクスリと笑った。

「なんだ、冗談だったんですかストーカー。良かった」

李々子は一瞬だけハッと目を見開いたが、すぐに「そうよ、ジョーダン」と、笑顔で返して来た。

「僕、なんでもすぐ信じちゃうからいろいろ失敗するんだよなあ」
「そこがシロちゃんの良いところじゃない」

李々子はそう言って微笑んだが、またすぐに物憂げな視線を、宇佐美が出て行ったドアの方に流した。

―――宇佐美さんに気遣ってもらえなかったのが寂しいのかもしれない。

ふと、そんな想いが稲葉の中に過ぎる。
とたん、この目の前の人がやけに愛おしく思えて稲葉は戸惑った。

背中の大きく開いた深いブルーのチュニックに、今日は高い位置のポニーテール。青い石のピアス。
細く白い首筋に柔らかくウエーブして揺れる、栗色の髪が色っぽい。

何となくじっと見つめてしまった事に罪悪感を覚え、稲葉は自分の手元に視線を落とした。

―――あ。

手にはまだ、さっきの名刺が握られていた。

「ねえ、李々子さん?」
「なあに?」
「この名刺なんですけど」

稲葉がそれを手渡すと李々子はすぐに懐かしそうに微笑んだ。

「ああ、パパの名刺ね。まだ残ってたんだ」
「え? パパって……」

「あれ? 諒から何も聞いてない? ここは10年前までパパの事務所だったの。名前も卯月探偵事務所。パパ一人でやってたんだけどね、諒が大学2年の頃からバイトで来てくれてたの。私は諒が所長になったすぐ後にパパと入れ替わりにここに入ったのよ」

「へえ、そうだったんだ。10年前ってことは……。え。宇佐美さん、大学院生の時にここの所長を引き継いだんですか?」

「そうよ。社名も今のラビット・ドットコムに変えて何でも屋っぽくなっちゃったけどね。とても優秀な助手だったからパパは諒に事務所を引き継ぐことを何も心配してなかったみたい」

「でも、お父さんは? 引退?」
「もうさ、治らない病気だったの」
李々子はサラリと言った。

「アメリカに行って余生を過ごそうと思ったみたいでね。勝手に決めて一人で行っちゃった。……で、それっきり」

しんみりさせない気遣いだろうか。李々子はそこまで言うとまたニコッと笑った。

「あ……そうだったんですか。……ごめんなさい」

そんな展開になるとは思っていなかった。言葉につまり、稲葉は少しあわて気味に別の話題を探した。

「でも宇佐美さん、大学院は? このまえ笹倉が言ってたけど優秀な医学生だったんでしょ? まさかここを引き継ぐからやめちゃったんですか?」

稲葉の言葉に李々子は一瞬、答えに困ったように視線を泳がせた。

「……そうじゃないと思うわよ」

「じゃあ、なんで宇佐美さんは医学の道を諦めたんですか? だって教授陣から一目置かれるほど優秀だったんでしょ? 普通あり得ないでしょう」

「さあ。私、知らない」

李々子の返事は、思いがけず素っ気ない。

「……」

稲葉は改めて李々子の目を見た。けれど李々子の視線はそれきり稲葉に戻って来なかった。


―――知らない?

本当に知らないんだろうか李々子さんは。ずっと一緒にいて?
いや、そんな事あるはずない。

李々子の態度の変化に、稲葉はどうにも気持ちがざわついた。

普段嘘などつかない李々子に今、嘘をつかせてしまったのかもしれない。
明らかに触れてはならないゾーンに自分は侵入したのだ。


李々子は宇佐美に言われた通り、出しっぱなしの書類を黙々と片付け始めた。
時折、宇佐美のデスクの方に視線を投げる仕草が、やけに悲しげにも見えた。

思いすごしなのかもしれない。

宇佐美の過去には憂えることなど少しも無いのかもしれない。けれど、もうこの話題にふれるのはやめておこうと、稲葉は心に決めた。


―――だって僕は、今のままでいたいから。今の関係のままで……。


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~ Comment ~

NoTitle 

これは、諸々の過去(特に宇佐美の過去)が明らかになっていきそうな展開ですね。楽しみです。

「章」ではなく「話」でもおかしくありませんよ。各話ごとにストーリーが一段落しているので、連作短編のような感じになってますからね。何も問題はないと思います。

Re: NoTitle 

>本条さん

そうですね、ラストの7話、8話は宇佐美の過去が明らかになる前編・後編といった感じです。
今までのラビットのような、能天気な明るさに欠けるのが少し寂しいですが。(私が・笑)
李々子と宇佐美の微妙な関係も描ければ・・・と、思っています。

分け方、これでも大丈夫ですよね。
ブログだと、更新一回ごとに『〇話』にしたほうが分かりやすいかもしれないんですが。
私の場合、タイトルを付けられる最少単位を『話』にしてみました。
本来の小説だと、こっちが普通ですよね (^.^)

私も寂しい・・・・・・ 

もうすぐラビットは終わりなんですね・・・・・・。
宇佐美さんの過去が明らかになるのはモヤモヤがとれて
嬉しいですけど・・・・・・。
limeさんの作品の中ではラビットが一番好きでしたから、寂しいです。

ところで結婚して気がつきましたが、
ウチのカミさんは片づけがどうも下手でして・・・・・・。
散らかっているわけではないのですが、
どうもイマイチ綺麗じゃないというか・・・・・・。
私がやるのも当てつけみたいでよくないかと・・・・・・。

同じ奥様としてどうしたらいいと思いますか?笑。

寂しがっていただいて嬉しい♪ 

>ヒロハルさん

そう言っていただけると、本当にうれしいです。
長く連載していると、作者自身がキャラに過度の愛着がわいてしまうんですよね。
これが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが。
最終話の宇佐美の過去は、「そんな方向に行っちゃう」的なお叱りも覚悟で書いております。
6話はじらしていきますので、じれったいけど(笑)お付き合いいただければ嬉しいです。

片付けですか!
それはもう、旦那さんが手伝ってくだされば本当にうれしいですよ。
我が家の旦那は、まったく手伝ってくれない、キッチンにも入らない人ですので悲しいです。
私も片付けが好きではないですが、それ以上に散らかってる状態が嫌いなので、どんどん見えないところに隠します・笑 見えないところはすごいです。
(これは片付け上手とは言わないんでしょうが・笑)
旦那さんか片付けてくれて、気分を害す奥さまはいないんじゃないでしょうか。
やっぱり、苦手なところを補ってこその夫婦ですもんね。

NoTitle 

宇佐美の過去、気になります。なにがあったのか心して読ませてもらいます~♪

Re: NoTitle 

>ポール・ブリッツさん

は、はい。心して書かせて頂きます。ものすごく怖いです。
皆さんの反応が・笑

あ、でも、まだ6話では・・・・全貌は見えないかもしれません。

このままでいたい… 

分かりますねぇ、その心理。
振られるよか、友達でいたい…に似て。

fateも実は、基本的に登場人物は少しで良いし、居心地のいい場所から動きたくないし、変化に順応するのが億劫だし、これ以上の楽しいことも求めないから、今のままで放っておいて、って生き物です(・・;

今回、こんなに沢山の方々と交流を持たせていただいたのも、実は、他サイトでエライ目に遭ったからであって、そういうことがなければ、ずっとそこに引きこもりだったと思います(^^;
でも、あれって、サボってんじゃね~、少しは動け! って意味だったか…と今ならよく分かりますね~
もっと楽しいコトがこの先待ってるんだよ?
進まなきゃ、ダメだよ、とその人なりのカミサマが、その人に試練を与えるんでしょう。それがこの世の仕組みかな~

稲葉くんも進まなきゃならないところに来てるのかもね。

知ることイコール幸せが増えることじゃない。
この図式、いったいいつから分かってしまったんだろう?
子どもの頃は学ぶこと(学校の勉強じゃなくてな)が何でも楽しくて、知識が増えることが誇らしくて、一つ何かを得る度に幸福になったのに、ある頃から、知識は煩わしいだけのモノになっていく。

知識欲も‘欲’なんだ、ってことを身を持って実感してしまった。
な~んて、全然知識のないfateが語ることではなかろう(--;

少しは勉強せんと、物語も行き詰る~!!!

fateさんへ 

分かっていただけますか。稲葉君の、ちょっと臆病な部分。

今のままでいたい・・・って、思いますよね。
ぬるま湯に浸かっているのは、ダメだとはおもいつつ。
そして、今が幸せなら、なおさら。

私の描く主人公はけっこうナーバスで、「幸せは、ずっと続かない。いつか終わるときがくるんだ」という観念を持っています。
もしかしたら、私の中にそれがあるのかもしれません。
だから、守ろうとする。
たち向かって行かない。

でも、変化しなきゃいけない時って、ありますよね。
fateさんが、そうやって変化したのも、そんな時だったからでしょう。(ここへ来てもらえて、よかった~)
一度きりの人生だもん。とどまってちゃ、だめなんですよね。

私もねぇ、いつも思います。
ここは、我慢して現状維持すべきなのか。
いや、抜け出して、180度、別の人生を生きてみようか。
いやいや、それはただの「逃げ」なんじゃないか。
犠牲になるものも、考えろ。・・・
なんて。まあ、きっとそうやって悩みながら生きて行くんでしょう^^

私はまだまだ、知識が浅いので、今からでもいろんな知識を頭に詰め込んで行きたいと思っています。
そうじゃないと、物語がかけないし^^;
でも、その時間が少ないですね。
仕事もしなきゃいけないし、家族の世話も、家事も。

できれば全ての時間を勉強と、交流と、執筆に当てたい気分なんですが^^;(←本来わがまま)
一分一秒、無駄にせずに生きて行きたいなあ・・なんて。

あれ? なんの話をしてるんだっけ。

さてさて、稲葉君。彼もなるべく現状維持をしたい子です。
でも、そうも行かなくなってきます♪ どんな騒動に巻き込まれますやら・・・・。

今のままでいたいから 

この稲葉くんの台詞、ラビットのおしまいが近づいてきていると思うとしみますね。

なににつけても「今のまま」ではいられなくて切ない。
私もあまり現実生活では変化を望まないほうですから、楽しいときは特に、このまんまがいいと思います。
楽してるときにもそう思います。

この物語はどう変わっていって、どうおしまいになるのか。
今回もゆっくり楽しませていただきますね。

あかねさんへ 

あかねさん、いつもありがとうございます^^
ファーストミッションへ、ようこそ。

平穏な日々は、なるべくそのまま続いてほしいと願いたいですよね。
それというのは、でも、幸せは、長く続かないとだれもがどこかで思ってるからなのかもしれません。

うちの人物たちも、そう強く思う子たちが多くって。
(まあ、作者が意地悪だから、戦々恐々なんでしょう^^;)

ラビットは比較的コメディタッチで平和なお話なんですが、最終章には、ひたひたと黒雲が・・・。

のんびり、お時間のあるときに、あかねさんも彼らに付き合ってやってください^^
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