流 鬼

流鬼 第29話 遅すぎた想い

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訊いたのはあんたよ。そうでしょ? 言葉を失くして目を見開いた飛田に、キヨはそう言いたげな視線を投げた。

「まさか……そんな……」

飛田はやっとの思いでそれだけ絞り出したが、それに続く言葉は出て来なかった。
キヨは膝に付いた枯れ葉を払いながら、続けた。

「小菊はこの祠から拾われたってだけで、村の連中から流鬼と呼ばれていたからね。気分次第で人を殺し、カラスの供物にする鬼だってね。その根岸って男も流鬼の事を少しは聞きかじってたんだろうよ。小菊が流鬼だって噂を知ってた。その上で小菊に興味を持って、つけまわしてたんだ。そして、襲い掛かった。
お前は人を殺めたことがある鬼なんだろう? 流鬼なんだろう? って。実際そんなことをほざいていたらしいよ、小菊に跨りながら。自分が犯すのは人間の女なんかじゃないと思い込んでたのか、それともそう思い込んで罪悪感から逃れようとしたのか。どっちにしても畜生さ」

キヨの言葉は耳を覆いたくなるものだったが、それを真っ向から否定する言葉は出て来なかった。

飛田の脳裏にあったのはただ、自分の推測が当たってしまったのだという苦い衝撃だ。
思えばそれは、この村に来る前から飛田の中に生まれていた。

飛田の事務所で初めて根岸が残した小菊の写真を見た時、根岸の欲情の視線はその画角の中に鮮明に浮かび上がっていた。

幼くも美しく、どこか得も言われぬ艶を含んだ小菊に、根岸は魅せられてしまっていたのだ。

―――――やはり……。

自分はどこかでそれを感じていた。分かっていたのではないか。すべて。それなのに、そこから逃れようとしていた。

飛田は自分の中に有った卑怯極まりない感情を持て余し、けれどどこへも出せずに飲み込んだ。


「小菊が根岸に襲われたことを私に打ち明けたのはもう腹の子が簡単には堕ろせないところまで育ったころだったよ。気付かない私も私だけど、小菊もあんな悪夢は忘れようと必死で隠したんだろうね。
男の死体が発見された時に、お前がやったのか訊いてみたんだけど、自分とは関係ない、カラス達が勝手に食ったんだろうって言い張ったよ。けど腹の子がどうにも大きくなって困り果てて打ち明けて来たとき、その顛末を全部一緒に話してくれたんだ。屈辱を受けたから、あの男を殺したって。最初に写真を撮られた時に、殺しておけば良かったって」

淡々と語るキヨの言葉はあまりにも現実離れしていて、それが余計に嫌悪感を沸き立たせる。

「……でも、……殺したって、いったいどうやって」

飛田の問いに、キヨはフッと嘲るような笑みを漏らした。

「小菊が恐ろしい力を持って生まれた子だからに決まってるだろ」

「……力」

「あの子は赤ん坊の時から癇癪を起すと周りのモノを手も使わずに飛び散らせる妙な力があったよ。最初こそ私も手を焼いたし、本当にこの子は鬼なんじゃないかと思ったけど、私が言う事は素直に聞いたし、物心つく頃にはその力も引っ込めて、よそ様に怪我を負わせたりするような事は一切なかった。

けど村の年寄りたちは、須雅神社で拾われ、あまり他人と交わらず、人形じみた特異な容姿の小菊の事を流鬼だと噂し、毛嫌いしたんだ。そんな噂をガキどもが放っておくわけがない。村八分ってのは知能の低い獣どもの本能だよ。異端を迫害することで自分たちを優位に立たせようとする。鬼なんてものが現代に居るか居ないかなど関係ない。奴らはただそうやって毛色の違う小菊を迫害することで団結し、楽しんだんだ。

でも、相手が悪かったよね。小菊はただのひ弱な捨て子なんかじゃなかった。私が苦労してなだめたあの力は、あっけなく自分を愚弄し攻撃する他人に向けて解放されたよ。
殺すのなんて簡単さ。相手の脳の血管をいくつか引き裂けばいい」

眉間に皺を寄せながらも、口元に奇妙な笑みを浮かべながら喋るキヨを、飛田は今度こそ言葉を失くして凝視した。

喉はヒリヒリと痛むほど乾き、倒木のむこうの小菊や秋人の事を気にしつつも、話に聞き入り、続きを切望した。

「流鬼が復活した、子供が崇り殺された。村の連中は恐れると同時に、そら見た事かって歓喜して村の隅々まで噂を流したよ。本当か嘘かは、連中にとってどうでもいい。誰かを攻撃の的に出来ることは、そりゃあもう人間には楽しい事なのさ。小菊は村の連中から確実に孤立し、バケモノとして扱われ続けたよ。

100年前の流鬼の口伝は殺戮の実話だから、それを村の外の者にあえて流したりする村人は居ないはずなんだけど、やっぱりどっかから漏れて伝わってたんだろうね。
興味本位で村に来る部外者がパラパラいたよ。根岸って男も、その一人だったね。あれが小菊を襲ったのが15年前の今日ってのが、偶然過ぎて馬鹿らしくて反吐がでるよ。
小菊が、初めて泣きながら自分の腹を見せたのがその翌年の春先だ。12歳の子に産むか堕ろすかなんて冷静な判断はできっこないよね。ちゃんとした知識もないし。
大丈夫、自分は産婆だし、産み月になったらちゃんと取り上げてやるし、その赤子はすぐに絞めて土に埋めてやるからって、言ってやったんだけどさ。小菊は次第に膨れる腹に怯え、学校にも行けず引きこもるようになった。
そこらへんからだよ。小菊が流鬼になる事を自分の中で決めたのは」

―――流鬼に、なる。

その言葉が意味することの残酷さに、飛田は脳天を殴られたような衝撃を覚えた。

キヨは険しい目つきのまま、喋りつづけた。

「流鬼って言う化け物は13年ごとに増殖し、自分の力を伝えていくんだって子供の頃に聞きかじってたもんだから、そこに何の矛盾も無くて、むしろこの流れは必然だったんだよ。
流鬼を封印した祠で生まれ、人を想いのままに殺める力を持ち、そして13で子を産む。あれは辱めを受けたわけではない。神薙ぎなんだ、自分は新たな流鬼を生むために男を利用し、貪り、使用済みの目障りな男は頭をかち割り、カラスに食わせてやった。そう思う事で小菊は自分を保ち、そして生まれて来る秋人を自分の血を受け継ぐ鬼だと受け入れようとした。

小菊の強情っぷりは育ての親の私でも恐ろしいくらいでね。本当に小菊は流鬼なんじゃないかって思いながら、今日まで傍で見守って来たわ。ある種の自己防衛本能なんだろうけど、呆れるほどあの子は完璧な流鬼になってしまった。
だけどやっぱり最初は秋人を受け入れるのは難しかったみたいでね。産み落としてすぐに小菊は赤ん坊の首に手を掛けたりして暴れて、なだめるのに大変だった。
秋人を殺すのはもちろん簡単だったけど、そこで感情的になれば自分を流鬼に仕立てる小菊の欺瞞も終わってしまうんだ。小菊はただ辱めを受けたみじめな小娘に成り下がるしかない。すべてを払しょくするためには、秋人は小菊が望んでこの世に生み出した、流鬼の末裔でなけりゃならなかった」

飛田は淀みなく平然としゃべるキヨの言葉を聞きながら、なすすべもなく打ちのめされた。

信じられない話してはあったが、今この女が嘘を語っているとは微塵も思わなかった。ここにすべての真実があるのだ。
そして改めて途方に暮れる。あまりにも多くの感情や疑問や怒りが、自分の中に煮えたぎって来るのをどう処理していいか分からなかった。

数メートルほど横で健造の傍にへたり込んでいた和貴も、キヨの言葉が耳に届いたのだろう。気付くと血走った視線をこちらに向けていた。
和貴が睨んだ先にいるのはキヨだったが、怒りをぶつけたい相手は他に居るように飛田には思えた。

倒木の向こうは煙幕で隠され、小菊や秋人の様子は全く分からない。
そしてこちら側は依然として炎の恐怖にさらされていた。

退路を塞ぐ炎はまるで煙のむこうの秋人たちの感情を表す様に、広がりもせず衰えもせず、こちらを伺ようにそこに留まっている。

一発触発の気配を感じたが、身動きが取れない。そして動くつもりもなかった。
まだもう少し余裕があるなら、今この時に、キヨの中にある情報を全て引き出したかった。

「秋人はどう思ってるんだ。本当の事を知ってるのか?」

飛田が問うと、キヨは面倒くさそうに眉根を寄せた。

「秋人はこの村の外で生まれ育ったけど、赤ん坊のころからずっと私らに鬼の子だと言い含められて育ってるからね。自分は神薙ぎによって生まれたんだと信じ込んでる。小菊に恐ろしい力があるのを知ってるから、微塵も疑っちゃいないよ。
小菊自信も、早い段階ですっかり自分自身を洗脳して流鬼になり切ってるし、秋人にも、なぜお前には私のような能力が無いのかと罵ったこともあるよ。人を殺せるくらいの力がないと出来そこないだってね。人間にない強い力を持ってこそ価値のある流鬼だと小菊は思い込んでるから」

「でも秋人には……」

「そう。秋人には小菊とは違って、炎や熱を放つ力がある。これがいったい何の因果なのか、あるいは本当に小菊が伝説の移民の末裔なのか。その辺は私なんかに分かりっこないんだけどね。とにかく、小菊が流鬼なら、秋人にはまるで須雅神社の祭神、カグツチのような力があった。
でも、あの子の性格なのかね。その力を必死で隠し続けて来たから小菊は気づいてもいないよ。秋人を育てた私しか知らない。秋人は鬼にはなりたくないってよく泣いてたよ。普通に人として学校に行き友達を作って大人になって仕事をしたいって。当たり前な、普通の願いだけど、切実だったんだろう、秋人には。

実際新しい土地でも、近所で何人か小菊の仕業かもしれないと思う不審死が幾つかあったし。今までどこに行っても母親の奇行や噂に妨害されて、街の学校でもいじめられ続けてきたからね。
だからこっちに越してきた春、和貴が友達になってくれたんだって言って凄く喜んでたよ。この村を好きになりたいって言ってね。

更に強い力を持つ流鬼を生むべく、小菊は腹に秋人の子を孕んでいたし、あの子もしばらくは大人しく引きこもって、秋人が願うように穏やかに過ごせるって思ったんだけど。
そうもいかなかったね。何の因果か、よりによって和貴は健造の息子だって言うじゃないの。運の無い子。ほんと、笑うに笑えない」

「何でだよ。何で今更そんなこと言うんだよ!」

突如甲高い怒号が木々の爆ぜる音を切り裂いた。

転がったままの健造の横で、いつの間にか仁王立ちしていた和貴がキヨを睨みつけている。

「鬼だって! そう言うから俺だって父さんだって! それに父さんは本当に15年前、小菊がその男と一緒にいるころを見ちゃって、それで怯えておかしくなっちゃったんだ。仕方ないじゃないか! 男が殺されて血まみれになるところ見ちゃったんだから! 仕方ないじゃないか! 今更鬼じゃないなんて、襲われた被害者だなんて言われたって、そんなの知らねえよ!」

喉が張り裂けんばかりの勢いで和貴は叫ぶ。

けれどやはりキヨは戸惑う素振りもなく、冷笑さえ浮かべて事も無さげに言った。

「健造は全部分かってたよ。気づかないはず無いでしょう」

「うそだ!」

「小菊は心ん中で必死に健造に助けてって言ったの。けれど健造はその男と一緒に小菊を犯したんだよ。ずっと視姦しながらおっ起たててよだれ垂らして。小菊はすべてをまだ覚えてるはずよ。血が出るほど掌握り締めながら話してくれたからね。
体が解放されて、恐怖心が怒りに代わってようやく根岸って男だけは始末したけど、もう健造に構うほどの余力も気力も残っていなかったんだってね」

「ウソだ!」

「あんたらはみんな都合のいいように見たものや記憶を書き換えるからね。本当の事だからこそ今まで後ろめたくて健造は誰にもこのことを言わなかったんじゃないの? その癖、小菊の恨みを買ってる事だけは認識してて、復讐を馬鹿みたいに恐れてさ。醜いッたらありゃしない。根岸を殺したのは小菊だけど、あの時小菊を鬼に変えたのは、その男と健造なんだよ」

その時ゴッという音が響き、カラスが数羽、秋人たちがいるはずの祠の裏手の繁みから湧き立つように飛び立った。
今まで耐えるように佇んでいたご神木のクスノキの一部分が突如、勢いよく火柱を吹きあげたのだ。

「秋人! 小菊さん! ……なんであっち側に火が上がるんだよ。秋人は火を操れるんじゃないのか?」

飛田がキヨに詰め寄った。

「未熟だったね。制御はできなかったか」

キヨが笑う。
気でも違ったのかと爆発寸前の怒りを抱えながら、飛田は無我夢中で先ほど倒れたクヌギの方へ駆け寄った。その向こう側、クスノキの近くに二人は居るはずなのだ。密集した藪と崖に囲まれて、退路があるとは思えない。

「秋人! 小菊さんを連れてこっちへ来い! もう何も心配いらないから!」

叫びながら飛田は進もうとするが、しかし何をトチ狂ったのか、それとも守る気でいるのか、次々襲い掛かるカラスどもに阻まれて一歩も進むことができない。

「秋人! こっちに来い!」

再び叫びながら手でひたすらカラスの攻撃を防御したが、その暴徒の数は更に増えていく。

「くそっ!」
闇雲に手を振り回したその時だ。当たった感触もないのにギャアと声を上げてカラスが数羽弾き飛ばされた。

顔を上げると、カラスを太い木の枝でめった打ちに追い払っている和貴が目に飛び込んだ。

顔は先ほどの炎で焙られ赤らんでいたが、和貴の目は今初めて正気を取り戻したかのように見開かれ、ギラリと異様な光を宿していた。
そして力の限り叫ぶ。

「秋人! 秋人、大丈夫なのか? 動けないんなら待ってろ。俺、そっちに行くから!」

けれど和貴の声をかき消す勢いでカラス達は鳴きわめき、飛びかかり、祠の近くに行く人間を阻んだ。

「やめろっ、このクソガラス! お前らいったい何がしたいんだよ!」
喚き散らしながら飛田も手でカラスの攻撃を払いのけていく。

飛田の手はすでに切創だらけで、視線を移すと和貴は更に腕からも額からも血を滴らせていた。

「和貴、お前はいい。俺が行くから」

そう言う端から飛びかかってきた一羽の足をひっつかみ、地面にたたき落した。その時だった。
和貴が祠の方を見ながら叫んだ。

「秋人!」

倒れた大木を乗り越え、煙幕のむこうから秋人が姿を見せたのだ。

自分と同じくらいの背格好の、身重の小菊をしっかり支えこちら側にゆっくり歩いて来る。

「ああ……。秋人。良かった」
和貴が心からの安堵の声を漏らした。

カラスはまだ行く手を阻んで激しく飛び交うが、もう急ぐことは無い。飛田は全身の筋肉が弛緩し、その場にへたり込みそうになった。
この2人を確保できれば、あとは何とかなる。いや、何とかして見せると思った。

カラスを払いのけながら我慢できずに秋人の元に走り出した和貴も叫んだ。

「秋人、秋人ごめん!ほんとにゴメン! 帰ろう、小菊さんも一緒に」

語尾が震えている。心なしかクスノキの炎がスッと勢いを緩めたように飛田には見えた。

小菊を支えながら、秋人がゆっくり顔を上げる。
その表情は蒼白かったが、両の目は真っ直ぐに和貴を見つめ、そして秋人もまた言葉に言い表せない安堵の表情を見せた。

―――もう大丈夫だ。そうだろう、秋人。 きっとすべて修復できる。やり直せる。ここから。

嗚咽に似た熱い塊が喉元まで込み上げ、飛田も鉛のような足をゆっくり2人の元へむけ、踏み出した。

けれどたった一発の乾いた銃声が、それらすべてを一瞬にして掻き消した。

カラスが一斉に狂ったように鳴き、視線の先にあった白い服が瞬間赤い飛沫を噴いた。

小菊を支えていたはずの少年の姿は気づいた時にはもう地にうずくまり、その横で膝を折る小菊の服や頬は鮮血に染まっていた。

和貴も飛田も刹那戦慄し固まった。
直後その空間に響いたのは、絹を引き裂くような小菊の叫び声だ。

いったい何が起きたのか瞬時に理解できぬまま振り返った飛田が捉えたのは、口から泡を吹きながらも仁王立ちになり、猟銃を構えている健造だった。

すでに常軌を逸していた健造の血走った眼は、狙ったはずの小菊が無傷なのを確認すると手慣れた様子で弾を充填し直し、再び構えた。

小菊は腹を押さえ、数歩その場から退いたが、銃口は小菊を捉えて離さない。

「やめろ!!」

力の限り叫んだ和貴の声は無情にも無視され、発射された散弾の一部が今度は小菊の耳を貫き、弾き飛ばした。

小菊の悲痛なうめき声があたりに響く。

「やめろ!父さん!!」

再び和貴が声の限り叫んだが、動くものは息子でさえ撃ち尽くす勢いの狂人に、その想いは届くはずも無かった。
健造はまるで何かに憑りつかれた様に尚も弾を込めていく。

けれど耳から血を流した小菊に再び銃口が向けられる前に、影が動いた。

シャツの肩から腹までを真っ赤に染めながら、信じられない余力で立ち上がった秋人が、泡を吹きながら猟銃を構えようとする男を渾身の力で睨みつけたのだ。

ボッという音と共に健造の上着が火を噴き、うめき声を上げてその屈強ながたいが地面に転がった。

放り出された銃は暴発してカラス一羽に命中し、飛び火を受けたのか黒い塊は一瞬で燃え落ちて行った。

「秋人!」

飛田と和貴が再び地面に倒れ込んだ秋人の元に駆け寄ろうとしたが、今までトロトロと燃えていたかがり火が4台とも突如火柱をあげ、まるで秋人の意思のように他者を拒んだ。

ついにその火柱は龍のようにうねって須雅神社の祠に引火し、その上空を覆うクスノキの葉を燃え上がらせた。

けれど、もう秋人はピクリとも動かない。

「あきと……」

悲痛な声を喉から絞り出しながら、小菊は秋人に歩み寄ろうとするが、祠からの熱風に吹き付けられ、なすすべもなく秋人の体から後退してく。

思わず飛び出した飛田が、火の粉を浴びながらそれでも秋人に近づこうとする小菊を抱き留め、その場から一気に引き離した。飛田の中に小菊への恐怖心などもう微塵も無かった。

「和貴、小菊さんを―――」

そう言って和貴に託そうとしたが、飛田より先に和貴は秋人の元に駆け出していた。

「秋人! 秋人! 一緒に帰ろう、秋人!」

声にならない声で叫ぶが、かがり火台も祠もまるで聖域を守るかのように激しく炎を噴き上げ、そしてやがてもう動かなくなった秋人の体をゆっくりと抱いだく様に呑み込んで行った。

「秋人!」

尚も火中に飛び込もうとする和貴の体を飛田は胸の張り裂ける思いで抱き留めた。

和貴まで死なせるわけにはいかない。

秋人の体はもう完全に炎に包まれ、どうすることもできなかった。
何度も何度も和貴が秋人の名を呼ぶ。

その声はあまりにも悲痛で、飛田自身、震えが止まらず、怒りと悲しみで気が狂いそうだった。

自分の父親の事はもうその存在を意識から捨て去ることで最悪の制裁を下したように見えた。
その証拠に、燃えてしまっただろう健造の事を和貴は振り返りもしなかった。
あまりにも悲壮で救いの無い現実だった。

けれどこの状況にも関わらず、二重写しで再生されてくる映像があった。先刻目の奥に焼き付き、脳内からはがれない。

炎に包まれる前に、横たわった秋人の頬が、嬉しそうに微笑んだように見えたのだ。

小菊が秋人の名を泣きながら悲痛な声で呼んだ、その少し後だった。
微笑むことができるような状況では決してなかった。

それは錯乱して気がどこかおかしくなっていた自分の目の錯覚だったのだろうか。

けれど飛田にはその一瞬、確かにそう見えたのだった。

この瞬間も、秋人の元へ行こうともがく和貴の体を、飛田は力づくで抑え込む。
目の前のあまりにむごい光景に目を向けることなど出来ず、自分こそこの惨劇と怒りに震えながら、飛田は和貴を組み伏せる腕に、渾身の力を込めた。

目の端で小菊に歩み寄るキヨを確認し、ひとまず安堵はしたが、息もできないほどの熱と煙が押し寄せてくる中、やはり動くことも力を抜くこともできない。

そのうち、狂ったように暴れていた和貴の体がふっと動きを止め、そしてそれは痙攣に代わった。

「ひもが……」

和貴が打ち震えながら、茫然とした声で言った。

「足に、あいつ、まだしてた……」

秋人のいたほうを振り返ったがもうそこに生前の秋人の姿を見ることはできず、飛田は力なく崩れ落ちる和貴をただ抱き留めた。

和貴は目をそらさずに見届けていたのだろう。秋人が燃えていく様を。
そしてその足首に、和貴が友への戯れとして結えた紐を見つけてしまったのだ。

友情の証だとして、秋人が外さずにずっとつけていた、赤い組み紐。

――――どうして今なのだろう。

もっと早く、秋人たちの本当の姿を見つめることができていたら。

けれどもう何を思うのにも遅く、そして飛田の気力も限界に来ていた。

煙を吸い込んだ体は思うように動かず、震え続ける和貴の背を抱いていてやることだけで、精いっぱいだった。



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