「ラビット・ドットコム」
第4話 稲葉くんの憂鬱

ラビット 第4話 稲葉くんの憂鬱(4)

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「あれ? 稲葉?」

ビルの中から出てきた人影が稲葉に声をかけた。宇佐美だった。

「宇佐美さん!」

かすれた声でつぶやき、稲葉は宇佐美を見つめた。今、一番会いたい人に会えた。全身の力が抜けて、あやうくその場にへたり込みそうになる。

宇佐美は少し笑いながら稲葉の肩に手をかけると中へ入るように促した。

「李々子が心配してたよ。どうした?」

二人をしばらく見ていた警察官はほんの少し帽子のゆがみを直すと、無表情のまま別方向に歩いて行ってしまった。

「今日は警察官、よく見かけるね。何かあったのかな?」

去っていった警官の後ろ姿にちらりと視線を送りながら、宇佐美はのんきにつぶやく。

稲葉はエレベーターに乗り込みながら、これまでのいきさつをどこから話そうかとドキドキしていた。
第一、宇佐美は信じてくれるだろうか。

かすかなモーターの上昇音。そして稲葉には珍しい、重めの沈黙。

妙に思ったのか宇佐美は稲葉を振り返ってまじまじと全身を見つめた。

「……あれ? 稲葉、その紙袋」

「えっ? なに!? なんですか?」

心臓が口から飛び出そうなほどドキリとして稲葉はとっさに紙袋を後ろに隠した。

「なんで隠すの。ちょっと見せて。それってもしかして……」

「もしかして?」

「あ……、やっぱり」

「やっぱり!?」

宇佐美が稲葉の目をじっと見つめて来る。
へびに睨まれたカエルのような気持ちで稲葉はエレベーターの壁に貼り付いた。

「ごめん、……それ俺のだわ」

チン、と拍子抜けな音と共にエレベーターのドアが開いた。


「…………え?」

「え?」

石のように固まった稲葉を見て、宇佐美は手で口を押さえる仕草をしてみせる。

「あれ? 怒ってる?」

「……何を?」

稲葉はまたしても思考を一旦停止させて宇佐美をじっと見つめた。

二人を乗せたままエレベーターのドアがスルスルと閉まりかける。
宇佐美はガッとそれを手で押さえ、稲葉の肩を抱くようにしてエレベーターを降りた。

そのまま事務所の入り口まで行くと、宇佐美はまだ思考が戻っていない稲葉からすまなそうに紙袋を受け取った。

「あのオッサンがね、足痛めたから近くまで来いって言うもんだからさ。今日しか渡すの無理とか言うし。じゃあ、10時くらいに映画館の前にこんな男が立ってるはずだから渡しといてくれって写メ送ったんだ。君の。ごめん」

「……いや、いや、いや。話がぜんぜん見えないんですけど」

稲葉は、胸元を少し開けたチャコールのシャツを粋に着こなし、いつになく爽やかなオードトワレの香りのする宇佐美をただじっと見つめた。

「俺、どうしてもあの時間動けなかったから替わりに稲葉に受け取ってもらったんだ。その男から」

「は」

「中身は趣味のモデルガンなんだけども」

「へ」

「ごめんね」

子供のように頭に手をやって申し訳なさそうに笑う宇佐美を見ながら、稲葉は全身の力が抜けていくのを感じていた。

「メールすればよかったんだけど実は今、この紙袋見るまで忘れてたんだ。今朝は何かと忙しくて……本当に申し訳ない。そういえば李々子が言ってたけど映画、中止になったんだって?」

……モデルガン ……メール ……代理 ……デート ……映画 ……モデルガン……


『勘弁してくださいよ~』、と抗議する気力もなく、稲葉は呆然として立ちつくした。

―――今日の自分っていったい何だったんだろう。

何やってんだろう。自分。

「おい大丈夫か稲葉。顔色が良くないけど。荷物のことは本当にゴメン。ほら、コーヒーいれてやるし、ちょっと休んで行くといいよ」

宇佐美が稲葉を覗き込み、気遣うように言うが、心がいろいろ折れまくっていて頷くことさえできない。

心配そうな宇佐美と2人佇んでいると、ガチャリと事務所のドアが開き、李々子が顔をのぞかせた。


「あ、シロちゃん! 待ってたのよ。大丈夫? ……あらら、顔が真っ青よ?」

「……李々子さん」

すがるような想いで稲葉は李々子を見た。
その声に何とも言えない安堵感をおぼえ、熱いものが再び稲葉の中に込み上げてきた。

けれど李々子の着ていた服を見て、その感情にガッとブレーキがかかる。
さっき宇佐美の部屋で見た、黄と萌黄のグラデーションが美しい、薄手のカーディガンだった。

色白の肌に、ゆるく左肩で束ねた栗色の髪。まだほんのり濡れているようにしっとりとウエーブしている。

鮮やかな色使いのカーディガンのせいか、まるで羽化したての蝶のようだ。
ちょっと猫っぽい瞳で稲葉を心配そうに覗き込む仕草もかわいらしかった。

―――僕が駅で抜け殻になってた時、二人はプライベートルームで夢のような時間を過ごしてたんだろうか……。

そんな捩れた感情が胸をひたしたが、自分の不幸を誰かのせいにするのはやめようと、ぐっとこらえる。

「あの……僕、今日はいろいろあって、疲れたんで、帰ります」

脱力したまま、稲葉は重い体をエレベーターの方へゆっくり向けた。

けれどそれを引き止めるように、李々子の手が稲葉の腕を掴んだ。
稲葉の心臓が跳ね上がる。

李々子はそのまま稲葉の体をグイと引き寄せ、首筋に唇が触れそうなほど顔を近づけた。

「なっ、……なんですか! 李々子さん」

「ねえ、シロちゃん?」

「は……、はい」

「さっき、ここへ来た?」

ドンと稲葉の心臓がもうひとつ跳ねる。

「な、何言ってるんですか! 来ませんよ。来るわけないじゃないですか!」

「え? そう? おかしいな。確かにシロちゃんの香りがしたのにな。この事務所と……諒のリビングで」

「やめてくださいよ。知りませんよ僕! ぜったい気のせいです」

狼狽を隠すために少し怒り気味に稲葉は否定した。

成功しているのかどうかは、まったく自信がない。昔から嘘をつくのは何よりも苦手だった。

李々子は顎のところに手をやり、なにやら考えている。
この人の動物並みの勘は侮れない。稲葉は緊張で胃がキリリと痛んだ。

「そうよね。きっと勘違いよね。シロちゃんが嘘つくはずないもの」

李々子は小さく頷くと、さりげない仕草で折り畳んだ5千円札を稲葉の手に握らせた。

「気をつけて帰ってシロちゃん。もう忘れ物しちゃダメよ」

優しく微笑んでくれた李々子が聖母に見えて、思わず稲葉は目頭を熱くした。

稲葉の中の虚脱感と疲労感とむなしさは消えなかったが、李々子の優しさと、手の中の5千円が、わずかに元気を与えてくれた。

―――何とか家まで気力を保てそうだ。帰ったら、……夜中までゲームヤリまくろう。そうじゃないときっと、泣いてしまうだろうから。

李々子にぎこちなく微笑み返すと、稲葉はトボトボとエレベーターに向かい、乗り込んだ。

「またな、稲葉」

エレベーターまで見送ってくれた宇佐美に頷き、その横で手を振る李々子に手を振り返す。

気力だけで微笑む稲葉を呑み込んで、エレベーターは降下していった。


            ***

稲葉を呑み込んだエレベーターの扉に前に、二人はしばらく黙って立っていた。

やがて李々子のほうからそっと宇佐美に歩み寄り、口を開いた。


「ウソつくの、上手ね」

「……」


宇佐美はほんの少し李々子に微笑んだ後、くるりと向きを変え、足早に事務所まで戻った。
手にはまだしっかりとあの紙袋が握られている。

宇佐美の後を追った李々子は、“ただ今外出中”の札をドアノブにひっ掛け、事務所に入るとすぐ、慎重に鍵を掛けた。

引き出しから取り出した綿手袋をはめ、応接ソファに浅く座った宇佐美は、紙袋の中から、乱暴に包まれた塊をそっと取り出した。

慎重にその新聞紙をめくっていき、黒光りのする“それ”を取り出すと、まず安全装置を確認。

グリップの底からマガジンを抜き出し、砲弾の数を確認したあと再び元にもどした。

ピエトロ・ベレッタM92。
世界中の警察や軍隊で使用されているポピュラーな半自動拳銃だ。
闇で出回っているのもこのタイプが多い。

「やっぱりあのニュースの銃なの?」

李々子がソファの後ろから身を乗り出して聞いてくる。

「9ミリパラベラム弾。2発だけなくなってるから、たぶん間違いない」

「びっくりね」

「びっくりだよ。……まさかあの場に稲葉がいるなんて。まあ、あれだけそっくりだったらあの男が間違えるのも無理ないけどね」

宇佐美は胸ポケットから小さな写真を取りだした。

そこに写っていたのは稲葉によく似た、きれいな顔立ちの青年だった。


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~ Comment ~

しまった! 

私も稲葉君同様騙されていました。

コミカルな場面とシリアスな場面の切り替わり・・・・・・
この辺りの筆運びがlimeさんはお上手ですよね。
稲葉君そっくりの青年も気にかかります。
次回楽しみです。

へへ。 

ヒロハルさん、いらっしゃい。
騙されてもらえてうれしいです。
騙され期間は、一瞬ですが・笑
あれが事実なら、宇佐美って嫌なやつですもんね。

次回は、真相解明。ちょっと説明部分が多くなるんですが、
どうぞ覗いていってください。
稲葉君、すっきりするんでしょうか・・。

NoTitle 

きや、きゃっこいーーーーー
ニャンてステキなの宇佐ちゃん。
もうーーー激惚れv-10
腹が据わっていて・・・モぅーーーー下さい。
これじゃ女が惚れるって。
李々子、男を見る目があるよ。
うむうむ。
白ちゃん・・・お疲れさま。
v-15

ぴゆうさんへ 

ははは。
シロちゃん、お疲れ様ってwww
酷い目に会っても、結局宇佐美にもっていかれちゃったね・笑

でも、ぴゆうさん、宇佐美を気に入ってもらえて嬉しいです~~。e-266
あまり、いないんですよお。宇佐美をカッコいいって言ってくれる方。

なんだか、シロちゃんの動きが大きいせいで、宇佐美が目立たなくて。
もう、ぴゆうさんにあげちゃう・(*^_^*)

でもね、宇佐美の過去は、結構重いですょ~。
大丈夫かな? ぴゆうさんは^^

さて、次回はこのドタバタの種明かし。
シロちゃんは、どの時点から転落の道をたどったんでしょう^^

NoTitle 

えぇ~・・・
モデルガンではない・・・ですか。
かわいそうな稲葉くん。
肝っ玉は冷えるは、デートは不発でしかも告らず失恋、
信用している宇佐美さんには騙され・・・
宇佐美さんは何を考えているのだか・・・
まだまだ見逃せませんね!!

さやいちさんへ 

そう、本物でしたねw
稲葉君にとっては、ほんとうに最悪な一日でした。

でも、宇佐美は最後にちょっと語ったように、稲葉くんに、あまりこの世界に深入りしてほしくなかったんでしょうね。
あくまで彼は、高校講師だから。
そんな優しさが、いつか稲葉君にも伝わる日が来るといいんですが・・・。
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